Web 10年
【2月4日特記】 昨日で僕のホームページ wise word web が10周年を迎えた。
そういうことはそっちのページに書けば良さそうなものだが、あっちはテーマを絞ったいくつかのコーナーで構成しているので、テーマ的に特に縛りのないこのブログで少し感慨を述べてみたい。
今の若い人にとってはコンピュータなんて物心ついた時からあったのかもしれないが、僕らの人生においてはそれは途中から現れてきたものだ。
もちろん、ある日突然湧いて出てきたものではない。しかし、ある時点まではコンピュータなんて自分には縁遠いものだと思っていた。
それが 1993年、ちょうど Windows 3.1 が出てくるころに会社の同僚と「これからはコンピュータとか解っておいたほうが良いのかな」という話になり、家で妻にも同じことを言ったら「これからはそういう時代なのでどんどんやったほうが良い」と言われて、それから1年間かけて研究した後に最初のPCを買うことになる。
最初は Mac にするか PC (当時の言葉で言えば DOS-V 機)にするか迷って、当時日本独自仕様に走っていた NEC を「まずこれを買うのはやめよう」と外して、それから暫く迷った後 Compaq (その後ヒューレット・パッカードに吸収合併された)の一体型を買った。
Windows 3.1、メモリは 8MB に自分で 4MB 増設して合計 12MB、ハードディスクは 520 MB だった。
これはいろんなところに書いていることだが、僕が PC を買ってやりたかったのはパソコン通信でもワープロでも表計算でもゲームでもなくて、映画鑑賞記録と住所録のデータベース作りだった。だから最初に買ったアプリケーションは MS Access だった。
ちなみにその Compaq 機には MS Word も MS Excel もバンドルされておらず、「簡易型 Office」とでも言うべき MS Works というのが入っていた。
時を同じくしてインターネット勃興の時代を迎えた。
僕のインターネット初体験は「インターネットカフェ」だった。今の「ネットカフェ」とは全然違う代物だ。
確か三宮だった。大きな窓から陽が燦々と降り注ぐおしゃれな喫茶店に端末が4~5台あって、その PC で Netscape Navigator を立ち上げてホームページを閲覧できた。ページ全体が表示されるのに1分以上かかった。
やがて一般人が次々とホームページを公開し始めた。
ようこそ、○○のホームページへ。
僕の家族を紹介します。僕の家族はお父さんとお母さんと僕と妹と犬のポチです。僕の趣味は珍しいキノコの写真集めです。
みたいな、どーでもいいページが林立し始めた。
そして、そのころ、会社でもイントラネットを作ろうという動きが出てきて、何故だか僕もそのプロジェクト・メンバーに入れられた。僕はそのプロジェクトの第1回会合で「インターネットは掃き溜めである」という演説をぶった記憶がある。
今振り返っても確かに掃き溜めであったと思う。「玉石混交」と呼ぶにはあまりにも「玉」が少なすぎた。それが検索エンジンの進歩によって見事に玉だけ集められるようになるとは夢にも思わなかった。
でも、そういう掃き溜めの中から一生懸命玉を拾い出して読んでいる人がいて、そういう知人から「インターネットという媒体は多分やまえーさんにぴったりな媒体だと思う」などと妙なことを言われて、少し気になっていたのも確かである。
でも、僕には書くことがない。みんなに読んでもらうようなことは何もない。僕の家族や趣味を知りたい人がいるとも思えない。──それが僕が踏み切れなかった理由だ。
でも、インターネットが普及してくるにつれて何かやってみたいという気持ちも高まってきた。そもそも番組が作りたくて放送局に入社したのに全然そういう仕事をさせてもらえなかった飢餓感もあった。
そんなときに、自分がこだわりをもっている「ことば」をテーマにしたものなら何か書けるかなという気になってきた。そのヒントをくれたのは妻だった。
そして、2001年の年明け直後からコンテンツを書き溜め始め、2月3日に nifty でホームページを立ち上げた。まだ、wise word web というおこがましい名前はつけておらず、「yama-a さんの HP」というワードアートで作ったロゴがトップページを飾っていた。
当時はまだ Google は存在せず検索と言えば Yahoo! で、人力で見極めて登録していた Yahoo! で自分のページが表示されるなんてことはありえないことであった。
従って、HP のプロモーションを考える必要があった。それで僕は当時流行の兆しがあったメールマガジンを使うことにした。いくつかのメールマガジン運用会社から同じ内容のメルマガを発行した。その時のタイトルが「ことばのギア、発想のシフト」だった。
このメールマガジンを、というより、そのメールマガジンが紹介される、各社の公式メルマガを宣伝材料として、僕は月2回ずつエッセイを送り出すようになった。ちなみに最初のメルマガ登録者数は自分を含めて81人だった。後に登録者は1桁増えたが、2桁増えるには至らなかった。
その後ホームページは「ことば」のコンセプトからすこしずつはみ出し、新しいコーナーが増えて行った。今ではもう存在しないが、山森雲黒斎先生とその弟子の漆黒斎、兵杢斎らによる「うんこ占い」などというページもあった。
そして、ホームページへの誘導を目的としていろんなサイトに盛んに投稿を試みていたのもこの時代である。
やがて時代はブログの流行を迎える。
僕はホームページをブログに改編することは考えなかった。ブログは読み流せるもの、HP は繰り返して読めるもの、ブログは新しい記事を書くたびに古いものはどんどん埋もれて行くもの、HP は一覧性を保持しておくもの──そういう差別化を当初から考えていた。
そして、2005年5月にこのブログを開始したのは、内容面での差別化の目処がついたからである。
HP は「ことば」他いくつかのテーマで絞ったいくつかのコーナーで構成する。ブログは特定のテーマで縛らない。──問題はブログの目玉を何にするかということだった。
ちょうど2004年7月に東京に単身赴任することになり、それを機会に映画を見る回数が増えたことが大きな契機になった。
それまで僕は年間12本の映画を観るのが目標だった。つまり、現実に年間それくらいの本数しか見ていなかったわけだ。その程度のものであったから、それは HP のテーマ/コーナーにもなっていなかった。
ところが単身赴任でヒマが増えて、鑑賞本数は一挙に4~5倍になった。それくらいの本数があればブログの中心的なネタに据えることが可能になる。レビューを書く上での説得力も出てくる。
アクセスログを調べると、実は一番アクセスを集めているのはインターネットについて書いた記事だったりするのだが、それでも映画の記事はブログの中心的なネタになった。
Web 10年。ホームページ10年。ブログ6年。「こんなに長く続くとは!」という感慨はない。僕の性格からすれば一旦始めたものは続くだろうという予想はついた。最初に始めたエッセイはいまだにずっと月2本以上のペースを、一度も途切れることなく保っている。
「継続は力なり」と言う。僕のこれが果たして力たりえたのかどうかは判らない。しかし、「蓄積はコンテンツである」とは言えると思う。
始めたことはまだまだ続けたい。そしてもっともっと蓄積を進め、それぞれの記事に網の目のごとくリンクを張り巡らせて行きたいと思う。
とりあえず、一度でも読んでいただいた方には、ここで心からの感謝の気持ちをお伝えしておきたい。
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