映画『洋菓子店コアンドル』
【2月25日特記】 映画『洋菓子店コアンドル』を観てきた。よく知らない監督だし、それほど観たいという気もなかったのだが、まあ、割と評判良さそうだし、みたいな感じで。
舞台は東京の有名な洋菓子店コアンドル。
最初に画面から規則正しい音が聞こえてきて、何だろうこれは、ミシンか?と思ったら、そんなはずはなくて、この映画を見に来てミシンだなんて思う僕のほうがどうかしているわけで、ケーキの材料を攪拌する音だった。でも、このオープニングはかなり気に入ったなあ。
オーナー・シェフ・パティシエールの依子(戸田恵子)、夫のジュリアン(ネイサン・バーグ)、そしてマリコ(江口のりこ)が働いている。そこへ、鹿児島弁丸出しの少女なつめ(蒼井優)が恋人である海(尾上寛之)を探して現れるが、海はコアンドルで2日働いただけで辞めていた。
その時、店にはかつての伝説のパティシエで今はデザート評論家をやっている十村(江口洋介)が来ていて、なんとなくなつめに惹かれるようである。──なつめのどこに惹かれたのか明かさないまま最後まで引っ張るのだが、この設定はなかなか巧い。
ただ、このなつめがひとりよがりのとんでもないバカ女なのである。僕はどうもこういう女は好きになれない。でも、現実にいるんだよね、こういう女。
そういう人物を主人公に措定するなんて、逆に巧い脚本だなあとは思うのだが、書かれた台詞も蒼井優の演技も、そしてストーリーも出来すぎで、そのために逆に僕はどうしても好きになれない。映画の中でなつめの敵役であるマリコのほうに感情移入してしまう。
マリコに関しては、その虚勢も弱さも非常によく描けていると思う。
いながききよたか、監督の深井栄洋、前田こうこの3人連名の脚本なのだが、台詞の巧い本だなと思った。
ただ、観ていてどうもところどころで落としてはいけないところを落としているような気がしてならない。リアリズムというのは決して全てを描くことではないが、この本ではリアリズムにとって決定的に大事なところを取り落としている気がする。
例えば、いきなり行き場のなくなったなつめは頼み込んでコアンドルの従業員となるわけだが、元来従業員を募集していたという設定は良いとして、住み込みというのはどうだろう? しかも、夜にはいきなり店の原材料使い放題でケーキ作りの練習に励んでいる。
店の原材料については後ほど説明があるが、都会で生活する者が初対面の人間にいきなり店の鍵を預けてしまうというのはいかにも無理がある。そこを自然に描くためにはもう10分、15分の尺を必要とするだろうから大変なんだけど、そこを省かれるとちょっと白けてしまう。
店の鍵が開いていて、気がつくと誰かが厨房に立っているという進み行きもどうなのかと思う。ここは東京ですよ。鍵かけてるでしょう?
十村が決意するシーンもちょっと甘い気がした。8年も厨房を離れていた者が考え方を翻すにはもっともっともっと強くて激しい外的刺激が必要なのではないだろうか。
それから、その十村が何故パティシエを辞めたかについては、かなり早い段階でその答えを暗示するシーンがある。これはもちろん意図しての脚本なのだが、うーん、こんなに早い時期に読み切れてしまって、ちょっと残念な気がした。
まあ、そんなこんなは映画全体にとっては枝葉末節なのかもしれない。しかし、もうどうしようもなかったのは、何よりも僕はなつめみたいな女に親近感が持てないということである。残念ながら最後まで反感しか覚えなかった。これはもう、好みの問題なのでどうしようもない。
他の映画では、例えば『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の佐藤江梨子や『ソラニン』の宮﨑あおいにも同様に強い反感を覚えたが、でも映画には強く惹き込まれた。この映画ではそれはなかった。
ただ、蒼井優というのは上手いとか下手とか言う以前に何をやってもカリスマ的な演技者だし、さっきも書いたように台詞の良い本だし、とても良いお話でもあるので、多分僕以外の人はもっともっと楽しんだのだろうなと想像はする。
そして、そんな僕でも見終わったあと甘くて美味しいケーキが食べたくなったのは事実である。ケーキの所謂シズル感がそんなに出ていたとも思わない。これは恐らくお話の持つ力なのだろう。
確かにお話が力を持った映画だと思った。
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