映画『冷たい熱帯魚』
【2月11日特記】 映画『冷たい熱帯魚』を観てきた。園子温監督の新作
園子温という監督は僕にとっては長らく観る気になれない監督だった。どうもアングラ的な香りが強すぎて、エログロに寄りかかりすぎているのではないかという印象を持っていたのである。
で、2005年に漸く初めて『Strange Circus 奇妙なサーカス』を見たのだが、果たせるかな思ったとおりの印象で、やっぱり僕の好きな監督ではなかったと思って、その後は全く見なくなった。ところが、2008年の4時間の大作『愛のむきだし』でその認識を改めざるを得なくなったのである。
これはずっと避けたままにはできない監督である。
今作との間に『ちゃんと伝える』があったがこれは見なかった。今回は予告編から何か感ずるところがあり、久しぶりに見に行った。
主演は吹越満とでんでんである。なんと地味な配役か! まるで「監督のファン以外は見に来てもらわなくていいです」と言っているようなものである。にもかかわらず、よく入っていた、とまでは言わないが、そこそこの入りである。この監督のファンは着実に増えているのではないか?
しかし、勇気ある女性の一人客もいたけれど、これは却々キツイ映画である。気の弱い人は、あるいは血や暴力が苦手な人はやめたほうが良いなんてもんじゃない。気分が悪くなるぐらいでは済まない。下手したら吐くような映画である。
血ったって、ちょっとやそっとの血ではない。ぬるぬるの血の海。そして、肉。肉ったって牛肉や鶏肉ではない。人肉である。骨、生首、内蔵…。
ちょっと気の弱い熱帯魚屋の店主・社本(吹越満)が、近所の巨大熱帯魚店を経営する男・村田(でんでん)に取り込まれて、妻子を人質に取られるような形でどんどん悪事に引きこまれていく話。
ともかく冒頭からテンポが良い。全く料理ができない社本の妻・妙子(神楽坂恵)が冷凍食品やら冷凍ごはんやらをめちゃくちゃ乱暴にカゴに放りこんで行くところから始まる。ファースト・シーンから緊張感と悪い予感が漲っている。
そして、カットとシーンを次々に変えて物語を猛烈な速さで進めて行く。妙子は後妻。その再婚を機に社本の娘・美津子(梶原ひかり)はグレて行く。そして万引きして捕まる。そこへ現れた村田がスーパーの店長を丸め込んで救ってくれる。
助けてくれただけではなく店を見に来い、同業者同士仲良くなろうなどと言う。店に着くと色気が溢れ返った感じの村田の妻・アイコ(黒沢あすか)が現れる。そして村田は美津子をこの店に住み込みで働かせてはどうか、とまで言って、強引に進めていく。
しかし、それにしても怪しい。村田は羽振りが良すぎるのである。それに店には若い女の子ばかり住み込みの店員がすでに5人もいる。やたら親切なところがなんとも胡散臭い。
──と思ったら、やはりこいつはとんでもない悪党、いや、そんな生ぬるい言葉では表せないような怪物だった。「殺人鬼」という言葉でも全然足りない。
これは狂気を描いた映画である。気が弱くやられっぱなしだった社本に終盤狂気が芽生えてくるところが恐ろしい。冒頭の細かい切り替えから一変して、今度はカットを切らずに村田と社本のやり取りを見せる。
画も怖い、本も怖い、人も怖い。血も怖い。全てが容赦なく怖い。
最後の最後まで救いなんてどこにもありゃしない。こんな映画を見て(あるいは、見せて)何になるかと問われれば、正直言って解らない。しかし、これは「何か」である。間違いなく「何かである」としか言えない「何か」である。
見ていてハラワタを混ぜっ返されたような気分になる。描かれているのも怪物なら、作品そのものも怪物である。
僕はでんでんの出演映画を観るのはこれが20本目だが、もちろんこんな大きな役は初めてである。全くメリハリなくめちゃくちゃなハイテンションで大声を上げ続けるというのは一般的には大根役者の演技以外の何ものでもないが、ここでは完全に意図されたものである。
ひょっとすると彼はこれで何か賞が獲れるのではないだろうか。
見終わっていつまでも心がざわざわする。お薦めはしない。しかし、これは紛れもなく「何か」である。
「冷たい熱帯魚」というタイトルが秀逸である。「冷」と「熱」という相対する漢字を含んでいるので一見形容矛盾であるかのように思えるのだが、熱帯魚であっても魚は熱いものではない。触ってみればひんやりしている。なんかそういう恐ろしさがある。
心の深海の、いちばん暗いところにいる熱帯魚を描いた映画であるのかもしれない。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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