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Thursday, February 17, 2011

電話とテレビ、その立ち位置の類似

【2月17日特記】 携帯に電話がかかって来なくなったと思う。

以前は事件・事故やタレントの不祥事など、何かあればひっきりなしに電話が鳴って、その都度いろんな判断をしなければならない部署(=編成局編成部)にいたのが、今やそういう緊急性とは割合縁遠い職場にいるということもある。

だが、それだけではない。人々の気質が変わってきたのである。

いきなり電話をしてくる友人・知人は本当に少なくなった。大体は最初はメールで接触してきて、それで「じゃあ会おう」となったときに、当日遅れるとか相手の居場所が分からないとかいう場合に初めて電話を使うのが一般的だ。

妻との連絡も特に急ぎでない限りはメールである。

そうすると、自分はなんで docomo と iPhone の「二丁拳銃」をやっているのかと思う。docomo はほぼ電話機能専用に近い使い方をしているわけだが、それは取りも直さず使い道がないということでもある。

ひとつには妻が docomo なので家族割引を維持するという目的がある。しかし、割り引いてもらうために使いもしないものに金を払っているのは本末転倒である。

もうひとつは、会社の携帯サイトを見るためと言うか、いや、どっちかと言うと、わずか1名とはいえ携帯サイトの会員数を減らさないためというのがあるが、これも馬鹿げた精神論、と言うかむしろおまじないみたいなものである。

あるいはおサイフケータイ機能のためか。うん、これは少しある。Android 携帯と違って iPhone にはこの機能が現在はない。

しかし、これほどの多機能と操作性とデザイン性があるのなら、おサイフケータイくらい棄てても良いかなという気に既になってきている。自分も含めて、人々のニーズや感性が変わってきているのである。

メーカーは最初は携帯電話にいろんな機能を詰め込もうとしていた。そして、若い人たちと違って、やや保守的な年代に入っていた我々は、そういう動きにずっと懐疑的だった。

i-mode が始まったときには「携帯電話みたいなこんな小さい画面で、誰がインターネットなんか観たい?」と訝ったし、カメラが付いたときには「なんで電話にカメラ付ける必要がある?」と驚いた。

しかし、結局両方とも消費者には受け入れられることになった。技術の進歩もあって思ったよりも高性能のものが整備されたということもある。

とは言え、基本は電話機である。電話機にいろんな機能を足して行っただけだ。

電話機の仕様が先にあって、それをそのままにいろんな機能を詰め込もうとしたから、どこにどの機能が入っているか判りにくくなり、電話用のキーを少し拡充しただけのもので全てを動かそうとするから操作性が悪くなった。

そこへ、もはや電話が前提ではない iPhone が登場した。美しいデザインとシンプルな操作性──だんだん馬鹿らしくなってきてケータイが使えなくなってきた。

で、これは昨今のテレビと似ていると思うのである。

メーカーは最初はテレビにいろんな機能を足して行こうとした。ただ、ケータイと違うのはその時点でテレビ局からの激しい抵抗にあった。

僕らの先輩たちは「テレビでインターネットが見られるなんて言語道断。視聴率の低下にも繋がる」と憤り、わざわざ Web の共通言語である HTML ではなく BML という特殊な言語でデータ放送を動かすことにした。さらに、データ放送の画面から直接に(1段階で)はインターネットに飛べないように制限をかけた。

ひょっとすると当時は誰がやってもこういう判断しかできなかったのかもしれない。それは先見の明がなかったとは言えても、当時の情勢からすれば浅はかだったとまで言ってしまうのは酷なのかもしれない。ただ、今思えば端的に失敗だった。

ただし、テレビでネットを観るためにはイーサネットに繋ぐ必要があり、そんな面倒なこと誰がやるのかという「結線」の問題は容易には片付かなかった。そのために「放送と通信の融合」は、狙い通りなのか期待はずれなのかは別として、却々進捗しなかったのである。

しかし、それも無線LAN の一般化と IEEE802.11n という規格の登場で一気に解決されることとなった。

そうなってくるとケータイに対する iPhone と同じように、テレビの機能に拘らない、テレビの仕様に縛られないハードが出てくるのではないか? テレビにどんな機能が加わるかではなく、どんなハードに機能の1つとしてテレビを積んでもらえるかという時代になるのではないだろうか?

となると、我々テレビ屋は1アプリ屋に転落するのか、甘んじるのか?──という言い方をする人も出てくるだろうが、別に卑下することはないではないか。

ただ、アプリ屋ではない。もちろんアプリも作れば良いが、基本的にはいろんな機能やアプリに流し込むためのコンテンツ屋である。ここでどういうコンテンツを用意できるかということが、iPhone になぞらえるなら、どのような機能とデザイン性を実現できるかということに近いように思う。

テレビに当てはめるとすれば、機能とは企画であり、デザイン性とは表現力である。

電話はめっきり鳴らなくなったが、さりとて電話がなくなるわけではない。テレビも以前ほど見られなくなるだろうが、テレビがなくなるわけではないだろう。

電話機にいろんな機能が足されるのではなく、スマートフォンのたくさんある機能の1つが電話という時代になった。そして、テレビにいろんな機能が足されるのではなく、たくさんある機能の1つがテレビであるという新しい素敵なハードが登場するだろう。

そのハードの素敵さにどれほど貢献できるか──次第に残り少なくなってきたサラリーマン生活の晩年で、それを一生懸命考えて行きたいと思っている。

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Comments

「二丁拳銃」っていう表現が凄いですね・・・笑

Posted by: kani | Monday, February 21, 2011 at 03:54

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