映画『毎日かあさん』
【2月9日特記】 映画『毎日かあさん』を観てきた。
僕の日記の1995年2月22日の欄には「夕方、小泉今日子と永瀬正敏が電撃入籍を発表した。今年になって一番良いニュースだ」と書いてある。自分自身が阪神大震災の大混乱のさなかにいながら、わざわざそんなことを書くくらい、僕はこの2人のことが好きだったということだ。
この映画を観る人のどれくらいの割合が漫画『毎日かあさん』、あるいはその作者である西原理恵子のファンなのかは知らないが、僕は上に書いた通り出演者に惹かれて観たのであって、別段西原ファンというのでもない。
ただ、1ヶ月半前に、この『毎日かあさん』同様、西原理恵子とその元夫である鴨志田穣を描いた『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』(こちらは鴨志田の本が原作)を観たばかりなので、彼らについての知識は充分に持った上で劇場に足を運んだ。
『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』では西原(この映画では「園田由紀」)を永作博美が、その元夫でありアルコール依存症治療中の元戦場カメラマン鴨志田穣(この映画では「塚原安行」)を浅野忠信が演じていた。『毎日かあさん』ではこの2人を小泉と永瀬の元夫婦が演じるということで話題を呼んでいる。
タイトルになっている原作のトーンもあるのだろうけれど、この映画のほうがはるかに軽く明るい作りになっている。子役の2人(矢部光祐、小西舞優)にも恵まれて、ほんわりとした良い作品に仕上がったと思う。
監督の小林聖太郎という人のことはよく知らないのだが、真辺克彦の脚本がとても巧いなあと思った。あちこちに順番にちりばめたエピソードが後から次々とうまく繋がってくる。
自分の書いたものを読み返してみると『サイドカーに犬』のときは酷評している(が、例によって既に記憶はないw)が、今回は感心した。
「私は嘘ばかりついている」という西原の独白から映画を始めるあたりはとても良いアイデアだと思ったし、その後西原の描いた画から人物が飛び出すタイトルバックも却々洒落たものである。
その後も時々西原の筆によるアニメが出てくるのであるが、そういう構成は『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』にもあったのだが、使い方としてはこちらのほうが巧みな感じがした。
この映画は何か象徴的な意味合いを込めてあるのかと深読みしたくなるくらい、頻繁に人物の後ろ姿が映される。小泉と永瀬だけではない。その2人の子供たちも小さな背中が描かれているシーンがあるのである。それが僕にはとても印象的だった。
人物を縦に並べて、手前の人物と奥の人物の台詞のやりとりがあるのに、ピントは手前に合わせたまま奥は誰が誰だか判らないほどにボケさせて、しかも、手前は後ろ姿だったりするシーンもあった。さすがに少し奇異に思ったりもしたのだが、それもまた何か思いを込めて意図的にそうしたのかもしれない。
ともかく破天荒な(元)夫はアルコール依存症で血を吐いて入退院を繰り返した後、結局癌で死んで行く。その父親に似たのか長男はちょっと目を離していると何をしだすか分からない問題児。その妹はとんでもなくおしゃまでマイペース。
高知から子守のために上京してそのまま住み着いてしまい、娘が鴨志田をいつまでも切り捨てられないことに批判的な母(正司照枝)。そんな彼らをまさに扇の要の位置に立って束ねていくのが毎日かあさんである。
彼女は決して無理して我慢しようとはしない。怒りはストレートに表す。しかし、変にワルぶったキレ方もしないし、キレたことに悪びれたりもしない。この自然流に見ている者たちはみんな心洗われるのである。
母さんだけではない。ろくでもない夫も含めて登場人物全員がとても愛情に満ちた人物に描かれていて、見ていて本当に心が暖かくなる。他にも古田新太や田畑智子、光石研なども絡んでくる。大森南朋や安藤玉恵がほんのチョイ役で使われているのはさすがにもったいない感じがしたが…。
とても良質の映画だった。
ただ、ひとつだけちょっとネガティヴなことを書くと、『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』の隣に並べてしまうと、この映画も残念ながら少し霞んでしまう気がする。
エンディングに使われているモノクロのスチル写真がとても良いなあと思ってい見ていたら、その多くは永瀬正敏が撮影したものらしい。そう言えば『パンダのan an』に掲載されていた永瀬による KYON2 のスナップも良い写真だったなあと思い出してみる。
僕はやっぱりこの2人が好きである。ちなみに映画館で観るのはこの映画がそれぞれ17本目、6本目の小泉、永瀬出演作品である。
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