映画『ソーシャル・ネットワーク』
【1月16日特記】 映画『ソーシャル・ネットワーク』を観てきた。
映画そのものに対してと言うよりも、扱われている題材に興味を覚えて。つまり、多少ともインターネットに関係した仕事をしている人間として、これは是非とも観ておきたいな、と。
今やネットの世界ではフェイスブックのマーク・ザッカーバーグと言えば、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツ、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンらと同じくらいのビッグ・ネームである。
この映画はそのザッカーバーグ(と言うまだ20代の若者)の伝記と言うか伝承である。
ただし、よくある、対象となる人物を讃える伝記ではない。と言うか、描かれているのはかなり無茶苦茶な人物である。思い込みが激しく、思いついたら周りの都合はお構いなしに即実行せずにいられない。
自信家で傲慢、と言うよりもひとことで言って「子供」。その結果2つの訴訟を抱えることになる。しかし、その宣誓供述の場でも全く懲りていない。
これではまるで発達障害ではないか、と思っていたら、案の定パンフに「マークがアスペルガー症候群のボーダーラインにいること(中略)はよく語られる」との記述がある。新しいことを始める奴って、往々にしてそういうタイプが多いのかもしれない。
しかし、当のザッカーバーグはこの映画を確か「ナントカ以外は全部でたらめ」みたいに評していて(僕はネット上で読んだのだが、ナントカが何であったか忘れてしまった)、全然相手にしていないことも忘れてはいけない。原作本も、本人に拒否されて、一度もザッカーバーグ自身にインタビューできていないのである。
それにしても、訴訟社会のアメリカでよくもまあこんな実名のストーリーを描けたもんだと驚くのだが、逆に言えば、原則実名登録であるフェイスブック同様、アメリカが実名社会として成熟している証なのかもしれない。
さて、映画のほうは橋田壽賀子もびっくりの会話劇である。しかも速射砲の如き早口の長台詞の嵐である。
従って、画的にはあまり起伏のない映画なのだが、それでもやたら面白い。画面から目が離せない。それは極めて高い力量を感じさせる脚本家アーロン・ソーキンの腕によるものである。
一見めちゃくちゃにひどいように見えるザッカーバーグだが、しかし監督のデヴィッド・フィンチャーは彼を決して全面否定していない。いや、誰を描く場合でも決して一面的な捉え方をしていないのである。
一見悪役として登場するショーン・パーカーにしても、彼が、あるいは彼のようなキャラが果たした役割といったものを公平に描いている。
しかし、このナップスターの創設者がフェイスブックに関与していたことをこの映画で初めて知った。しかも、この怪物みたいなキャラを演じているのがジャスティン・ティンバーレイクなのである!
ザッカーバーグ然り、パーカー然り、これだけエキセントリックな人物を描きながら、後味は良かった。最後の、何度もページにリフレッシュをかけるシーンが印象的だった。
でも、この映画を観て「ザッカーバーグって、こんな飛んでもない奴だったのか!」って言う人がきっといると思う。それが一番残念。
この映画はそういう理解の仕方から最も遠い所にあると思う。それがこの映画の一番の魅力であると思う。だから、これを見てザッカーバーグを知ったと思ってはいけない──それが今回僕が最も強く感じたことである。
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