映画『ウッドストックがやってくる!』
【1月23日特記】 映画『ウッドストックがやってくる!』を観てきた。監督はアン・リーである。
ウッドストックと言えば伝説のロック・フェスティバルである。だが、僕にとっては逆に伝説でしかない。つまり、生まれてはいたけれど、リアルタイムに見聞きしていないのである。「ミュージック・シーンに登場」する直前の一大イベントだった。
映画館には僕らよりも少し上の世代が溢れていた。テアトル梅田が狭いとか、スクリーンが小さいなどと驚いている人もいたので、普段映画館に足を運ばない層を動員できたということだろう。彼らは同時代の体験をいまだに共有している人たちだ。
で、僕はどうかと言えば、1970年以降、聴くべき音楽が次々と溢れ出して、ウッドストックについてはとうとう振り返って記録映画を観ることもなく今日に至ってしまった。だが、ウッドストックのインパクトが如何に大きかったかは知っている、いや、肌身にしみて知りはしないが伝説として承知している。
これはそのウッドストックの誘致から実施、そして「祭りの後」までを辿った物語である。
誘致と言ってもそんなにカッコいいものではない。客が来なくて潰れかけのモーテルの息子が、他所で決まりかけていたロック・フェスティバルの話が白紙に戻ったと聞いて、土地だけはあるので何とかなるか、と主催者に電話してみたのが始まりである。
「多少とも借金返済の足しになれば」程度の発想で、ジャニス・ジョプリンくらいは知っていたけど、まさか50万人の若者が集う歴史的な祭典になるなどとは夢にも思わなかった。
ドラマはこのちょっとひ弱そうなユダヤ人の青年と、頑固で強欲な母親、そして彼女の尻に敷かれっ放しの父親の3人の家族を中心に描かれる。
ともかくテンポが良い。舞台はずっとコンサート会場となる牧場及びその周辺なので、当然と言えば当然だが、「はい、ここで一旦終わって次のシーンへ」というのがない。だから展開が速い速い。だが、そもそもの描き方が小気味良いほどテンポが良いのである。
途中、画面を2つ、3つ、4つに区切って同時進行で見せていく手法は、観ているほうとしては疲れるが、慌ただしさはよく伝わってくる。
で、単なる再現映画のようでありながら脚本がよくできているので、結構素敵なのである。そう、出てくる人、人、人が悉く素敵なのである。
ロシアからの移民のユダヤ人家族、ベトナム戦争から帰還したもののトラウマを抱えて錯乱する元兵士、ヒッピー、おかま、ゲイ、ジャンキー…。守旧派、進歩派。体制側の人間、若者の理解者…。
そこには、若い頃から僕が憧れていた、全てを飲み込んでしまうアメリカ的な優しさがある。──そう、この感じは日本人には描けそうもない。強烈に自己を主張する一方で、ちゃんと多様性と折り合いをつけてきた人たちの感性だ。
大勢の男女が素っ裸でヘリを迎えるシーンも、男同士のキス・シーンも、「宗旨変え」した警官が主人公をバイクで送り届けるシーン(気がつけばものすごい長廻しだったりする)も、LSD の幻覚のシーンも、札束を掴んで離さない母親のシーンも、なんと素敵なシーンだろう!
元兵士が自分を取り戻すシーンがある。その時にはもうコンサートは始まっていて、遠くから音楽がかすかに聞こえている。それが I Shall Be Released であるところ(もちろん音源としてはレコードを使っているのだが)に、古い言葉だが「しびれて」しまった。
たまたま先日WOWOWで佐野元春のウッドストックへの思いを綴った『コヨーテ、海へ』を観たことが尾を引いているのかもしれないが、愛おしい愛おしい映画になったと思う。
あのとき彼らが夢見ていたレボリューションは失敗に終わったかもしれない。しかし、何かがまだ生き残っている気がする。
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