『原稿零枚日記』小川洋子(書評)
【12月16日特記】 連作短編である。いくつもの話が書かれているが主人公は同じであり、時系列的に繋がっている。それが「日記」と名付けられた所以である。
ただし、日記と言っても毎日記されているのではない。冒頭の「九月のある日(金)」から始まって、その後ずっと同じパタンが続く。時々「次の日(○)」という短い後日談が挟まれる。
主人公は作家である。既に名をなした作家ではない。何かを物しようとしてまだろくに書けずにいるので、正確には作家の卵と言うべきなのかもしれない。では、彼女は何で生計を立てているかと言えば、「あらすじ」である。
他人の書いた文章をあらすじにまとめたり、そのあらすじを他人に読んで聞かせたりするという、まことに不思議な生業である。
そして、各章は必ず「(原稿零枚)」で締められる。今日もまた1枚も書けなかったということである。あまりに書けないので、役場の「生活改善課」の指導を受けていたりもする。1日だけ何枚か書けた日があったが、次の日、それは零枚になった。
さて、最初のエピソードは作家が長編小説の取材のために訪れたF温泉の苔料理専門店の話である。いきなりいつもの小川洋子ワールドなのだが、どこかしらいつもと違う。どこが違うかと言えば、話は中国の幻想譚風なのだが、はっきりと和風であるところである。
ここはどこだか判らない国ではなくはっきりと日本であり、いつだか分からない懐かしい時代ではなく明らかに現代なのである。しかし、それでいて茫としている。まるで「あらすじ」のように、細かい部分が欠けているようでもあり、逆に非常に密度が濃いようにも思える。
その後も、この作家らしい名人芸的なエピソードが続く。小学校の運動会あらし、自分が盗作してしまった作家が実は存在しない、トランペットを演奏する生活改善課のRさん、子泣き相撲、等々。
解釈するのは楽しい。いろんな解釈が可能だろう。そして、著者は多分どの解釈をも妨げないだろう。
そんな中で僕は、著者が「暗唱クラブ」の章で、暗唱の秘訣としてこう書いているところに目が止まった。
「根気強くやっているうちに次第に印刷された文章たちは、動きを持って立ち上がってくるようになる。平面から空間へと勝手に移動をはじめる。
例えば一つ一つの言葉が鳥のように羽ばたき、集まり、やがては隊列を組んで空を突き進んでゆく。こうなればあとはもう鳥たちの帰巣本能に従うだけで、物語の行くべき場所へたどり着ける」(183ページ)
これは暗唱するコツを陳述していると見せかけて、実は作家が物語を紡ぎ出す風景を描写しているのではないだろうか?
まるで作家の脳内に入り込んで、作家の見る夢を横から覗いているような気がする。
実はあまり解釈せずに、流れに任せてこの小川ワールドにどっぷり浸かってしまうのが良いのかもしれない。きっとそのほうが楽しくて、結果として想像が膨らむのではないだろうか。
いつも通り余韻は長く続く。
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