NO 香川照之!
【12月7日特記】 映画『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』の観賞記事に書いたが、この映画の脚本を担当したアサダアツシと思われる人物が twitter で呟いた宣伝文句がある。曰く、
NO泣かせ!
NO癒し!
NO自分探し!
NO手料理!
NO動物!
NO病死!
NOタイアップ曲!
NOテレビ局!
NO香川照之!今の日本映画で当たり前の要素が何ひとつ無い、これまでなかったジャンルの映画の脚本を書きました。
なるほど、なかなか楽しいではないか。そして、かなり同意できる。
「NO泣かせ! NO癒し!」──確かに僕も「泣ける」とか「癒される」とかを売り物にしている映画は、もうそれだけで見る気がなくなってしまう。
そして、確かにここ何年間か自分探しの物語が受けすぎている気がする。そういう意味では一昨年の映画『百万円と苦虫女』にあった
「自分探しみたいなことですか?」
「いや、むしろ探したくないんです。探さなくたって、嫌でもここにいますから」
という台詞がとても新鮮だった。
また、僕は手料理には抵抗感はないが、確かに料理と言うか、飲食シーンを象徴的にあしらった映画、レシピを(時にはテーブル・コーディネートまで含めて)丁寧に見せる映画というのもこのところのトレンドである。
『家族ゲーム』まで遡ることもできないではないが、まあ、『かもめ食堂』以来かな、この傾向が頓に強まったのは。『おくりびと』にも印象的な飲食のシーンがあったし、『のんちゃんのり弁』とか『食堂かたつむり』とか、コーディネータが付いて、しっかりレシピを紹介する映画も多い。一種の流行である。
で、動物と病気は「今の日本映画で当たり前の要素」と言うよりも、ドラマ制作定番の飛び道具であろう。
僕も動物ものはなんか見え透いている気がしてあまり見ないし、難病で死ぬ映画も見る気にならない。廣木隆一は大好きな監督なのに『余命1ヶ月の花嫁』はどうしても映画館に足を運べず、TVでやった時に録画したが、これまたやっぱり見る気力が湧かずに消してしまった。どうしても安易な常套手段という印象があって、食指が伸びないのである。
で、タイアップ曲も映画作りに於いて常套手段ではある。これは別に気にならないけど…。
次にテレビ局出資映画であるが、僕は何せテレビ局に勤めているので、そのことに対してはもちろん反感を持ったりはしていない。
と言うよりも、今メジャーな形で上映されている映画でテレビ局が絡んでいないものを探すのは簡単ではないだろう。テレビ局が絡んでいると当然自局で宣伝してくれるので、製作側は当然テレビ局に出資させようとするのである。
テレビ局がついていない映画は単に結果的に出資を勝ち得なかったということでしかないケースが多いのではないかな? もし、この映画が最初から意図してテレビ局を排除したのであれば、それはすごいことだ。
さて、このアサダアツシが書いた宣伝文句の中で一番面白かったのが「NO香川照之!」である。いつまでもいつまでもおかしくて、いつまでもいつまでも脳裏を離れてくれない。
そこで気になって調べてみたら、僕は香川照之の出ている映画を合計25本(映画館で)見ていた。しかも、うち23本が今世紀になってからだ。つまり、2001年以降は年間2~3本ずつ香川照之の出た映画を観ているのである。
Wikipedia で調べると、彼の俳優デビューは1989年、映画デビューは1994年の『RAMPO』である(これは僕が初めて見た彼の出演作でもある)。で、2000年までに10本、2001年から来年の『あしたのジョー』まで、なんと47本の映画に出演しているのである。
その半分の23本を観ている僕もすごいが、10年間に渡って毎年平均5本近い映画に出続けているというのも只事ではない。
それだけに「NO香川照之!」とは、なかなか優れたコピーだと思うのである。よく思いついたなあ。さすが本業は構成作家である──と、妙なところにいつまでも感心してしまう僕なのであった。
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