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Monday, December 13, 2010

CoFesta『劇的3時間 SHOW』 -トラン・アン・ユンさん

【12月13日特記】 去年初めてその存在を知って初めて見に行った CoFesta『劇的3時間 SHOW』。如何に感銘を受けたかは去年の記事を参照してほしいのだが、つまり、3時間という長さがミソなのである。

この手のセミナーなどでは通常ありえない3時間という長さを与えられることによって、イベントそのものの性格付けが変わってしまうのである。まさに「量的変化は質的変化に転化する」という感じ。

ただし、今回は外国人の講師で通訳を挟むために、実質はその半分の1時間半になってしまう。ま、それでも普段なら2時間の講演が1時間に減っていたわけだから、それよりも遥かに深いのは確かである。ただ、残念ながら去年聴講した時ほどの劇的な違いは感じられなかった。

さて、今回の講師はトラン・アン・ユン(陳英雄)さんである。『青いパパイヤの香り』で鮮烈なデビューを飾り、今公開中の『ノルウェイの森』で話題を呼んでいる映画監督である。今年度は5回シリーズだが、僕が予約したときはまだこのトランさんの回しか発表されていなかった。

最初にどうでも良いことを書くと、非常に流暢なフランス語に驚いた。僕はフランス語はほとんど一語も知らないが、耳で聞いた経験からすると生まれながらのフランス人とほとんど変わらない。ベトナム戦争の戦火を避けて13歳でフランスに亡命しているらしいが、その年齢からだったらここまで正しい発音を覚えられるのかと感心した。

で、彼自身が「何も用意していない」と言った講演は、「映画作りにおいてはストーリー/イマジネーションが一番土台にあり、その上にテーマがあって、その上にスタイルがある」というような些か抽象的、観念的な話で始まった。これはちょっと、3時間起きていられるかなと心配になった。

ところが、具体的に既存の映画から5つの箇所(1シーンとは限らず、1箇所につき連続した複数のシーンの場合もある)を抜いてきて、それを会場で上映しながら説明を始めた辺りから俄然面白くなってきた。

その5つとは、黒澤明の『生きる』から2箇所、自身の『ノルウェイの森』から2箇所、そしてテレンス・マリックの『ニューワールド』から1箇所である。

そもそも監督が自作を語るのは得てして悪趣味なものである。しかし、結論から言うと、これはとても良かった。ひとことで言うと、映画はストーリーだけではない、という当たり前の話が今回の彼の骨子であった。

僕としても、近頃映画を見ても筋だけを追っているような人が多いのがちょっと気になっていた。そして、そんな人が堂々と我社の「映画担当」を名乗ってたりするのもどうもなあ、と思っていた。

何年か前に古今東西の名作小説のあらすじを書いた本が出て、それがそこそこ売れているという話を聞いて驚いたことがあったが、要するにそういう時代になってきたということなのかもしれない。

今日のトラン監督の話はそういう時代に一石を投じる内容になっていたのでとても嬉しかった。監督自身も同じことを言っていたが、今日の監督の話を聞いて、映画の新たな見方ができるようになったという人が出てきたら素晴らしいことだと思う。

さて、黒澤明『生きる』の最初の抜きは病院の待合室のシーン。志村喬が病院で隣り合わせた男から胃癌の特徴を聞かされて、段々不安になってきて、最後には自分は胃癌に違いないと確信するシーンである。

固定カメラの長回しなのだが、最後は志村の苦悩の表情のアップになる。しかし、ここではカメラが役者にズームするのではなく、芝居をしながら役者(志村)が次第にカメラに近寄ってくるのである。

敢えて説明するまでもない見事な画作りである。

そして2つ目の箇所は、レストランで後輩職員の女性と話すシーン。苦悩のうちに自分の生きる意味のヒントを掴み、ウサギのおもちゃを持って階段を降りる志村と入れ違いに若い女性が階段を上がってきて、志村たちが話していた奥のスペースで盛大な誕生パーティが始まるシーン。

この、意味を持たせたシーンの重ね方の技工とその意味について、トラン監督から丁寧な解説があった。

監督曰く、「芸術とは観客の感情を覆すもの。観客に対する挑発」である。これは非常によく解る。

そして、『ノルウェイの森』からは「ストーリー上必要なシーン」と「必要でないのに敢えて入れてあるシーン」という位置づけで2箇所が抜き出されていた。

1箇所目はワタナベと直子の再会のシーン、大学での学生デモの中を渡辺が歩くシーン、そしてワタナベと直子の夜の散歩のシーン他である。

このデモのシーンについて、「自分は歴史家ではないのでデモについては何の興味もない。ただ、その時代にそういう風景があったから入れ込んだに過ぎない」と彼は言った。しかし、その後に「デモの騒音を、その後の静寂のシーンと対比させるための効果音として使った」という説明が続いたのには正直驚いた。

なるほど、すごい感性だと思った。

映画は「面白かった」「面白くなかった」と比較的簡単に感想を語れるアートだと言われているが、自分はそうではないと思う、と彼は語る。ストーリーを離れて映像や色の変化だけに集中して一度見てみてほしい、とも言う。全く同感である。

そして2箇所目はレイコに請われてワタナベが彼女とセックスするシーンに続く、水辺の樹上にいるワタナベと地上にいるレイコと直子のシーン。これが監督自身が「物語の進行上は不要」と言っていたシーンである。「何かを挑発するために撮ったが、それがどういう感情を誘発するのか自分でも解らなかった。直感的に必要だと思った」と言っていた。この感じもよく解る。

「理解できなくても見ている人の中にしっかりと入り込んでくるシーン。不誠実なワタナベに、何故?と思い続けた後の和解を、新たな道を歩き始めたことを感じさせるシーン。言葉で明確に語る必要はないが、必要だったと言い切れるシーン」――監督はそう解説していた。そして、「得体の知れない感情に訴える何かは言葉にする必要がない。心に秘めたまま何年か放置しておけば良い」とも。

そして最後にテレンス・マリック『ニューワールド』である。「21世紀に入ってから一番の映画」だと言う。

「何だ、この予告編の連続みたいな映画は?」と思ったが、20分過ぎたところで涙が流れてきた。男女の感情の高ぶりを表現しているが、直接そういうことを描かず、男女を右から撮ったり左から撮ったり、水辺を撮ったり空の鳥を撮ったりしてそういうことを伝えているところが凄い――と監督は分析する。

監督が言うには、映画に必要なのは音楽のように観客の身体に働きかけること、作品が奏でるメロディ、リズム、バイブレーションである。

マリックがバイブレーションを最初から最後まで維持するためには、スケッチのような未完成の絵を流れるように重ねる必要があった。それは監督としてはリスキーな手法である。しかし、知らない道を行く勇気が必要なのであり、そういう選択をして危険な道を敢えて進むことがその人にとってのオブリゲーションであるという言い方もしていた。

大体その辺りで今日はタイムアップである。上で述べたように自身の作品を語る悪趣味な部分も少しあったが、この記事ではできるだけ書かないようにしたつもりである。

質疑応答の時間は、質問は多数出た割に幾分低調であったと言うべきだろう。ただ、原作小説との違いについての説明を求められて、「ストーリーを置き換えるだけの映画化はつまらない。自分が原作を読んだときのパーソナルな感じを伝えたい」と答えていたのが印象的である。これが今日のエッセンスと言って良いのではないだろうか。

目からウロコみたいな話はそれほど多くはなくて、僕にとっては普段から感じていることをきれいに整理してくれたような気がする。

ただ一点、注意すべきことは、監督は「言葉にする必要がない。そのまま放置しておけば良い」と言っていたが、それを鵜呑みにしてはいけないということである。今日の監督の話を聞いて解るとおり、トラン・アン・ユン監督は実はそういうことをきっちりと整理して言葉にすることができる人なのであり、それは何故かと言うと、決して放置したままにしなかったからなのである。

観て感じて考えて整理して、そして確かめる。だからこそ、しっかりとした映画が撮れるのである。

『ノルウェイの森』はまだ観ていない。観るのが楽しみである。そして、この『劇的3時間 SHOW』はこの後、1/28のジュリエット・ビノシュ×是枝裕和、日時未定のホウ・シャオシェンと続く。

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