映画『七瀬ふたたび』
【10月15日特記】 映画『七瀬ふたたび』を観てきた。筒井康隆の原作シリーズは全く読んでいないのだが、NHKでTVドラマ化されたもの(2008年の蓮佛美沙子ではなく1979年の多岐川裕美のほう)は部分的に観た記憶がある。
いきなり「プロローグ」と題して、マカオのカジノでカードゲームに勝つ七瀬(芦名星)、そして幼少時代の、初めて自分に人の心を読む能力があると気づいた日の七瀬が描かれる。
彼女がテレパス能力を発揮するシーンでそれを象徴するように入れ込まれる映像やCGを含め、全体になんか幼稚なと言うかちゃちな感じがしたのだが、クレジットが出てこの短編は小中和哉の監修の下で中川翔子が監督したものだと判る。しょこたんも映っていたらしいが見落としていた。
そして、このプロローグの中で幼い七瀬の母親を演じていたのが、かつてのNHKのシリーズの七瀬役・多岐川裕美である。
その10分間のプロローグを一旦閉じた後、時系列で言うと七瀬がマカオから瑠璃(前田愛)とともに帰国するところから、小中監督による本編が始まる。
で、この本編に於いても、七瀬がテレパスを使うときにはプロローグと同じような「効果」映像がオーバーラップまたは挿入されるのであるが、さすがにプロローグよりは金も掛かっていて工夫も施されているので安っぽい感じは拭われる。
パンフの解説を読む限り、今回は概ね原作に忠実に作られているようだ(ただし、平泉成が演じた刑事は映画オリジナルらしい)。
他人にはない能力を持つが故に、一般の人間よりも独りでいることに不安を感じて自然と集まった5人の超能力者たち──七瀬のほか、七瀬と同じくテレパス能力を持つ少年ノリオ(今井悠貴)、予知能力を持つ了(田中圭)、念力でものを動かせるヘンリー(ダンテ・カーヴァー)、そしてタイムトラベラーの藤子(佐藤江梨子)──が結束して、能力者を殲滅しようとする組織と戦う物語である。
僕はあまり数を読んだり観たりはしていないが、実はこういう超能力ものというのが大好きで、特にこういう風に様々な能力を持った者がそれぞれの能力を発揮することによってお互いをカバーしあって戦うというようなストーリーには大変惹かれる。
敵側の組織にも狩谷(吉田栄作)や景浦(河原雅彦)という超能力者がおり、超能力対超能力の一歩も譲らぬ対決という展開には血沸き肉踊る思いがするのである。
ただし、この映画には、もちろんそういうシーンも沢山あるにはあるのだが、その超能力対決シーンをピークに持ってきて売りにするような構成にはしていない。僕は超能力を使ううちにそれが覚醒し、より強度の超能力となって爆発するといったクライマックスを期待したのだが、残念ながらそういう展開にはならず、少し欲求不満・消化不良のまま映画は終盤を迎えた。
しかし、最後に至って、ああ、なるほどこういう話なのか、とストンと落ちた。このラストは原作とは変えてあるらしい。
この監督は単に子供向けの善と悪がカッコよく対決するような話を作る気はなかったのである。随分とオトナの映画という感じがした。
そこで描かれるのは「孤独」であり、「孤独でないこと」である。ただし、「孤独でない」というのは「みんなで一緒にいつまでも幸せに暮らしましたとさ」という形だけではないのである。ここで描かれるのは結構過酷な世界である。
原作でもそういう世界観が描かれているのだろうか? パンフによると狩谷の孤独にまで踏み込んでいるのは映画のオリジナルな解釈のようだ。そして、まさにその辺りがこの映画のキモになっている気がする。
僕が小中和哉監督の映画を観るのは、1)まだアマチュア時代、クマのぬいぐるみのコマ撮り映像で有名だった頃の『地球に落ちてきたクマ』(1983年)、2)1988年の出世作『四月怪談』、3)1998年の『ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ』に次いで4本目である。
小中和哉と言えばウルトラマンというイメージがすっかり定着してしまったが、この作品が彼がそこから少し脱皮するきっかけになれば良いなあと思う。
映像的にそれほど華々しい仕掛けがあるわけでもないのだが、見応えは充分にある。脚本は伊藤和典である。
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