映画『トイレット』
【9月20日特記】 映画『トイレット』を観てきた。
『バーバー吉野』に始まって、『恋は五・七・五!』、『かもめ食堂』、『めがね』と、荻上直子監督の作品は全部観ている(ただし、『バーバー吉野』だけは公開終了後に WOWOW で)。ただ、その全部にもたいまさこが重要な役で出ていて、そうなってくると、もうさすがに見飽きてしまった。
何故作るほうは飽きないのか? もういいんじゃないか?
──ということで、今回は見ないでおこうと思ったのだが、複数の人が褒めているのを読んでしまったので結局観ることにした(ただし、東宝の Cine MILAGE のポイントを使ってタダで)。
「今回は見ない」と思っていたのは、前作『めがね』があまりに動きの少ない映画だったからだ。なるほどこの映画には少し動きがある、と言うか、ちゃんと筋が動いて行く。ストーリーに仕掛けがある。
もたいまさこを除いて出演しているのは外人ばかりで台詞も全編英語なので、今までの荻上映画のリズムに飽きてきた人にはそれがチェンジ・オブ・ペースにもなったのではないだろうか。
舞台は北米である。3人兄妹の母親の葬儀で始まる。残されたのは長男のモーリー(デイヴィッド・レンドル)、次男のレイ(アレックス・ハウス)、長女のリサ(タチアナ・マズラニー)、そしてもうひとり、母親が亡くなる直前に探し出して日本から呼び寄せた彼女の実母、つまり3兄妹にとっては「ばーちゃん」(もたいまさこ)である。
モーリーはパニック障害に陥って、もう4年間一歩も外には出ていない。引きこもる前には何をしていたかは追い追い明らかにされる。
レイは四角四面、杓子定規な研究者。何を研究しているのかの説明はないが、なんか顕微鏡を覗いたりする、そういう仕事である。ガンプラ・マニアである。そして、そもそもは別居していたのだが、アパートの家事でこの家に戻ってくる。
リサは小生意気な大学生。兄をけちょんけちょんに言ってやり込めたりもする。でも、年頃の娘である。恋もする。
この三人三様のさまがいろんなエピソードの積み重ねで、そして、いくつかのエピソードを関連づけながら語られる。この辺は見事で、観ていて飽きない。文句なく面白い。
そして、ばーちゃんは英語が全く解らない。だからひとこともしゃべらない(故に、もたいまさこの台詞はまるでない──これがもう正にもたいまさこならではの“芸”である)。ただ、毎朝トイレから出てきて大きな溜息をつく。このエピソードがタイトルに繋がっている。
さて、そういう設定となると、誰でも考えることだが、焦点はもたいまさこがとうとう喋るシーンがあるかどうか、あるならそれはどんなシチュエーションなのかということである。この程度ならネタバレにはならないだろうと思って書くのだが、終盤確かに声を発する。ただ、それは僕が予想したような大きな展開ではなかった。
大きな展開はむしろその後の急転直下にある。さすがにこのストーリーは書けない。これがこの映画のキモだからである。そして、これまた書けないが、この映画の終わり方がまた絶妙である。ひねりと言うか、皮肉と言うか、いやいや、もっと素直に明るい未来を示唆しているのだとか、受け取り方は人それぞれだろうが、前作で少し精彩がなかった荻上直子が彼女らしい切れ味を少し取り戻したような気がする。
荻上直子らしい、ニュアンスいっぱいで包容力に富んだ良い映画であった。
ただし、僕は少し引っかかったところがある。それは、『めがね』もそうだったのだが、登場人物の過去を描かず、背景も説明せず、ただ現在だけを見せて、「人は生きてりゃいろいろあるよ。だけど大丈夫だよ」という方向に持って行く手法はやはり少し無理があるのではないかということである。
もちろん、実生活では僕も誰かの過去のことをあからさまに問わない優しさは持ち合せているつもりではある。しかし、それを観客に対してやるのはどうだろう? そして、途中で置き去りにされるエピソードがあるのも前作『めがね』と同じである。
ばあちゃんが入院するシーンがあるのだが、これも何の病気(あるいは怪我)で入院したのか、全く説明がない。こういうことがこの映画には多いのである。そして、それは『めがね』も同じ。
昨今、そういう表現は「ゆるい」などという表現で以て暖かく迎えられる風潮があるが、僕はそれはちょっと違うように思う。それは観客に対する手抜きであって、下手すると観客に対して無責任に根拠のない希望を植えつけてしまうのではないかという気がするのである。
ちゃんと過去や事情を描いて、因果関係を明示し、ある種の解釈を提示するのも表現者の大切な責任ではないだろうか?
別に映画なんだから良いじゃない、と言う人もいるだろう。が、僕は逆に、いくら映画でもそれはダメだろう、と思うのである。それは遊び方に関する趣味・感覚の違いなのかもしれない。しかし、僕は何か看過できないものを感じてしまうのである。
先ほども書いたように、良い映画であったとは思う。面白かった。ただ、こういうことに引っかかり始めると、ひょっとすると僕が荻上映画を観るのも今日で最後なのかなという気もするのであった。
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