映画『悪人』
【9月12日特記】 映画『悪人』を観てきた。
モントリオールで賞を獲った上で日本での公開日を迎えるという『おくりびと』と同じパタンとなったこともあり、大変よく入っていた。
原作は吉田修一の同名の新聞連載小説。僕はこの人が『パークライフ』で芥川賞を獲った時に、誰だったかが書いたものすごい酷評を読んでしまい、それがきっかけでいまだに読む気にならないのである。
ただ、WOWOW が同じ作家の『春、バーニーズで』を市川準監督、西島秀俊・寺島しのぶ主演でドラマ化したのは観ていて、これは大変面白かった。あと、今年の初めに見た『パレード』も吉田修一か。割合よく映像化される作家である。
今回は吉田本人が監督の李相日と共同で脚本を仕上げている。
この映画は犯人探しのサスペンスものではないので、恐らく書いても支障がないだろうと思い序盤の筋についてある程度書いてしまうが、もし、何も知らずに映画を観たいという人がいるなら(もちろん、そのほうが感じ方は新鮮だろう)、ここから先は読まずに映画館に行ってほしい。
これは、とある女性が“悪人”を好きになる話である。
それは佐賀の田舎で紳士服屋に努める光代(深津絵里)である。今日までの人生であまりパッとしたこともなく、おそらく男性ともあまり縁のないまま青春を通り過してしまったような存在である。妹と同居しているが、ちゃんと彼氏がいる妹は姉のことをどこかバカにしている。
しかし、その主人公とも言える光代が却々画面には登場しない。漸く中盤にさしかかろうとするところで初めて出てくるのだが、それまでに長い展開があって、とある男の日々が描かれる。
それは長崎の田舎で解体作業員をやっている祐一(妻夫木聡)である。じいちゃん(井川比佐志)ばあちゃん(樹木希林)の面倒を見ながら、唯一の趣味が車、という暗く真面目な青年である。
その2人が出会って恋に落ちる。いや、恋に落ちると言っても、恋愛映画に出てくるようなお洒落な展開ではない。出会い系サイトで知り合い、光代の方からメールで呼び出したのである。そして、「どこへ行こうか」と言う光代に対して祐一は「まず、ホテルへ」とにべもなく答える。
僕は恋愛に対して、と言うか、恋愛の始まりである男女の出会いに対して、もっと保守的というか臆病なタイプなので、こういうところからこんな激しく深い関係が始まるというところにあまり共感を抱かない、と言うかリアリティを感じられないところがある。ただ、こういう、誰でもいいから会いたいという衝動があることだけは僕にも充分理解できる。
光代と祐一はお互いにそういう衝動から出発し、そして一瞬にして揺るぎのない恋に落ちる。ただ、光代にとって誤算だったのは、祐一はその数日前に、同じく出会い系サイトで出会った佳乃という女性(満島ひかり)を殺していたということだった。
ともかく、前半から笠松則通の撮る画に力がある。──魚と雨。
樹木希林が台所で捌く魚、同じく彼女が港の魚市場で選り分けている魚、そして、祐一が光代に自分が殺人者であることを告白した時のイカの目。いずれも怖い画である。
職場から傘をさして自転車で帰る光代に振りかかる雨、警察の前で自首しようとしてとぼとぼ歩く祐一をずぶ濡れにする雨、佳乃が殺された現場を訪れた佳乃の父(柄本明)が娘と“再会”する雨。いずれも過酷な雨である。
人のいない道路、人の少ない漁村、荒涼たる岬に立つ無人の灯台。そして、それとは対照的に、普段は人がいない祐一の家の前に群がるマスコミ。──この辺の画作りが大変上手い。
さて、この映画で深津絵里がモントリオール世界映画祭の主演女優賞をもらったのだが、我々日本人にとって外国の演技賞というのはあまりピンと来ないことがままあるように思う。
別に深津が下手だったという気はないが、この映画でまず目立つのは樹木希林の怪演ではないだろうか。
そして、その次に目を惹いたのは別の意味での“悪人”たちを演じた満島ひかりと岡田将生である(岡田は佳乃が片思いする大学生の役だ)。この2人の演技はものすごかった。岡田にとっては今までなかった役柄である。そして、満島は今までのパタンから少し抜け出た演技が出来ていた。これこそ李相日監督の演出力ではないだろうか。
李相日は「『フラガール』の」という紹介のされ方が多いが、僕はこの映画に関しては、あ、これは『スクラップ・ヘブン』の李相日だと思った(何故だかパンフの監督略歴欄ではこの映画が除外されているのだが)。
あの映画のキー・ワードは「想像力の欠如」だった。ここで監督と作家が観客に問うてきているのは、まさに想像力の欠如なのである。
なーんだ、満島ひかりや岡田将生のほうが妻夫木よりもよっぽど悪人ではないか!──そういう感想で終わられてしまうと、この映画のほうが負けである。
そして、そんな風に終わらせないための壮絶なラストが用意されている。さすがにこのことについては書かないでおく。終盤になってくるとちょっとダラけて長いかな、という気がしてきたところで、この壮絶なラストがある。そして若干のエピローグがあって映画は終わる。
僕らの想像力はここからどこまで広がることができるだろうか? 考えさせる映画は良い映画であると思う。
【追記】 ちょっと書き漏らした断片的なことをいくつか。
この2人はずっと長崎なり佐賀なりにいる。東京に出て行きたくなってもちっともおかしくない境遇でなのに。しかし、それぞれが生まれた土地に留まっている。博多にさえ移り住もうとはしない。祐一は自慢の車をかっ飛ばして1時間半の道のりを経て佳乃に、光代に逢いに行く。
これがもしも東京を舞台にした、田舎から出てきた若者たちの話であったなら、かなり印象は違ったと思う。こんなに深い穴ぐらみたいな作品にはならなかったろう。それを思うと、この設定は秀逸だと思う。
そして、もうひとつ。脇役で運転手を演じた2人の俳優がなんだか知らんがいつまでも心に残っている。
厳しい声で群がるマスコミを一喝し、きつい目つきで樹木希林を叱咤するバスの運転手を演じたモロ師岡と、「出会い系サイトで知り合って殺しちゃうなんて悪い奴だなあ」と深津絵里に話しかけるタクシー運転手のでんでんである。
この映画、無駄な役柄が全くなかったように思う。そして、末端に至るまで監督の演出が行き届いていたように思う。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
Comments
>東京を舞台にした、田舎から出てきた若者たちの話であったなら、かなり印象は違ったと思う。こんなに深い穴ぐらみたいな作品にはならなかったろう
TBに感謝!
土地設定の素晴らしさ、魚の怖さなど、ご指摘の部分に共感しました。
素晴らしい映画評だと思います。
Posted by: マダム・クニコ | Wednesday, September 22, 2010 18:09
> マダム・クニコ様
わざわざコメントありがとうございます。励みになります。
お名前をお書きいただいてなかったようなので、後から分からなくならないために、ブログへのリンクを含めまして勝手に記させていただきました。
Posted by: yama_eigh | Friday, September 24, 2010 20:20