『シンセミア』阿部和重(書評)
【8月27日特記】 (上下巻通じての書評です)どんな作家なのか長年興味がありながら読まずにきた作家で、漸くこの本を手にとってみたのだが、結論から言うと僕の趣味の範囲の人ではなかった(ただ、後述するように、面白くないのではない)。
膨大な話である。山形の小さな町を舞台にした、いくつかの家族の3代に渡る物語である。ヤクザの土建屋と、そのヤクザとつるんだパン屋の家族。殺人、恐喝、麻薬、汚職、売春、淫行、盗撮、UFO──結構ヤバい世界が入り乱れて描かれている。しかし、僕が勝手に想像していた「知の横溢」みたいな面はない。
読んでいて一番思ったのは、「僕が読みたいのは物語ではなく文学なのに」ということだが、言うまでもなくこれは僕の側の嗜好であって、作家が咎められる問題ではない。
ただ、やはり筋だけがゆるゆると進んで行く感じで、描写に起伏もキレもない気がするのは事実。一旦そう思ってしまうと、いろんなことが気に触ってくる。
──やたらと難しい漢語を持って来たがること。そして、「齎す」とか「弁える」とか、確かに知ってはいるし読めもするのだが実際に書かれているのを初めて見るような漢字を使っていること。「如何わしい」などという表記にも引っ掛かりを憶えてしまう。
それから、そういう表面的なことばかりではなく、ストーリーは確かに進行してはいるのだが、些か動きが遅いということ。冒頭のシーンで失われたピストルが、漸く小説に戻ってくるのは、なんと下巻の真ん中あたりになってからだとういうのがその一例である。
ただ、この小説は下巻の終盤になって一気に動く。ものすごい勢いでいろんなものがいっぺんに動く。その辺りからがこの作家の真骨頂なのであろう。それまでのところは退屈かと言えば退屈と言うほどでもなく、しんどいかと言われると決してしんどくもないのだが、ただ幾分かったるいのである。
そして、このかったるさを乗り越えて最後まで到達したものだけが、そのご褒美として終盤の大展開の興奮を味わうことになる。
こういう終わり方はどうなのか、作者は一体こんな結末を書くために1600枚もの原稿用紙を費やしてきたのか、という思いはあるにしても、作者がちゃんとデザインした通りの結末が描けているのは確かだと思う。
そこにあるのは人類に対するある種の悪意であるような気がする(いや、それはあまりに単純にまとめすぎているかもしれないが)。そんなものを読んでどうする、という気もするが、何が作家にこんなものを書かせたのかを考えると、そこには大きな意味があるようにも思う。
ストーリーについても感想についても、僕は今できるだけ具体的に語らずに済ませようとしてるのだが、それはやはり何も知らないままこの怒涛の結末にたどり着いてほしいからである。
ともかく最後まで読み通してほしい。そうすると、僕がこの本を、あまり自分の趣味ではないと言いながら、面白いと書かざるを得ない事情が飲み込めると思う。
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