映画版『ハゲタカ』
【8月8日特記】 昨日NHKで映画版の『ハゲタカ』を観た。
連続TVドラマのほうの『ハゲタカ』は僕は見ていない。随分評判が高かったが、まあ、ひとことで言って「見そびれた」のである。その後何度かの再放送があって、事実つい1週間ほど前にも再放送していたのだが、マークしていたにも拘わらずまたしても見落としてしまった。よほど僕とは縁がないらしい。
で、かろうじて、この映画版だけは見られたというわけだ。連続TVドラマの4年後という設定で、果たしてTVドラマを見ていなくても解るのだろうかと不安な気持ちで見始めたのだが、そこは天下のNHK、映画の前にTVドラマのダイジェスト版(ナレーション入り)をくっつけてくれるという親切さ。
──ではあるのだが、如何せんダイジェストが短すぎて、結局よく解らんまま映画版が始まってしまった。しかし、それでも面白かった。
ひとことで言うと、よく書けたシナリオ、ということになる。このシナリオの何%が原作に、そして何%が脚色に負うのかは知らない。が、いずれにしても面白いドラマだった。そこには3つの面白さがある。
- キャラクター配置の面白さ
- 経済ものとしての設定と展開の面白さ
- ドラマとしての“あしらい”の面白さ
何しろTVドラマのほうを見ていないのでよく解らないのだが、大森南朋(主役のファンドマネージャー・鷲津)と前作で深く絡んでいたと思われる柴田恭兵と栗山千明はこの映画版の中でも引き続き重要なポジションを占めている。
それに加えて、前作で中枢の役どころであったと思われる松田龍平が、恐らく前作の個性だけは強烈に残しながら、しかし役割としては完全に脇に回って絡んでくる。
出番は少ないのだが、しかし、恐らく前作の視聴者だったら「如何にも!」と唸るような絡み方をしてくるのである。こういう手法は長いスパンで続いて行く群像劇の常套手段なのである。
いや、それは松田龍平だけではない。鷲津の側近役の嶋田久作や志賀廣太郎、銀行頭取の中尾彬もTV版から引き続いての「如何にも!」という役なのだろうと思う。そこが粋だ。前作を見ていたら間違いなくもっと面白かっただろう。
個人的に特におかしかったのは、映画『川の底からこんにちは』で初めて知った志賀廣太郎が、ここではこんな役柄で出ていること。『川の底からこんにちは』では満島ひかりの父親で、潰れかけたシジミ工場の社長だったのが、ここでは敏腕ファンドマネージャーの右腕である。なんだか吹き出しそうになったのだが、しかし見るうちに役柄がちゃんと立ってくる。
そして、さらに、今回の新たな登場人物として、悪役の玉山鉄二、玉鉄に買収される自動車メーカーの社長・遠藤憲一、そして玉鉄に翻弄される若者に高良健吾が使われている。
以上3つのタイプの出演者、1)レギュラー主演、2)レギュラー脇役、3)新しい共演者、の配置の具合が、本当にバランス良く神経の行き届いたものであったと思う。こういう配合の旨さが作品の緊張感と親近感を同時に産むのである。
そして、経済ものとしての面白さ。──ともかく面白いのである。この手の企画は、まず経済をよく知っている者にしか書けないストーリーである必要があるが、しかし、経済をよく知らない者が見ても面白く書けていなければならない。この2つを満たす作品って実際には多くないのではないだろうか。
こういう作品って絶対にある種シンボリックな面があるので、どのぐらい現実性があるかというような野暮なことを言うのはやめておく。ともかく2つのファンドの攻防戦がこのくらい面白く描けていたら満点だと思うのである。
そして、こういう経済ドラマはともすれば「経済的に正しい」ことばかりに気を取られて、人間的に正しくなかったりありえなかったりする茶番になりがちなのだが、そういう悪弊には決して陥っていない。経済を知ってドラマも知っている者でなければこんな作品は書けないだろう。
それを象徴的に、喩えて言うならば、松田龍平が大森南朋の部屋で煙草を咥えて、「喫煙ルームはどこ?」と言うような台詞である。この台詞はドラマの進行上は不必要である。しかし、こういう遊びが経済ドラマを人間ドラマにするのである。それが、ドラマとしての“あしらい”である。
脚本の面白さばかりが目立ってしまい、映画の割にはTV的な仕上がりになってしまっていた嫌いもあるが、ま、こういう作品であればある程度仕方がないだろう。
次に再放送があったら、是非とも連続TVドラマのほうも観てみたいと思う。
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