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Monday, July 12, 2010

ネット上の遺品

【7月12日特記】 前にも書いたことがあるが、最近、僕が死んでしまったら例えばこのブログはどうなるんだろう、みたいなことを考える。

そんなことを考えるようになったのは、ひとつには年を取ってきたからである。

別に今現在、死に至るような持病はないにしても、それなりに昨日よりは今日のほうが、先月よりは今月のほうが、昨年よりは今年のほうが死に近いのだという抽象的な感覚はある。

若い頃には具体的にも抽象的にも、そんなことは全く感じなかった。

そして、そんなことを考えるようになったもうひとつのきっかけは、先日『遺品整理人』というテレビドラマを見たことにもよる。

誰かが死ねば、生きている誰かがその遺品を整理することになる。しかし、僕のブログや twitter のアカウントは? 妻のメールアカウントは?

──そういうものは20年前にはほとんどなかったものだ。ところが今はメールのアカウントだけでもひとりの人間がたくさん登録している。そして、そのそれぞれに、本人しか知らないパスワードが設定されている。

解約するとなった時、アカウント名もパスワードも登録しているメール・アドレスも判らなかった場合は、プロバイダに電話をすれば受理してくれるんだろうか? それとも何か死亡を証明する書類の提出を求められるのだろうか?

人が死んだ後で、さらに煩雑な作業を求められるのは気が滅入る。そんなことをするぐらいなら知らん顔をしておけば良いのかもしれない。毎月少しくらいの利用料が引き落とされたって構わない──という考え方もあるだろう。あるいは料金が引き落とされている口座を解約してしまうという荒っぽい手もある。

もし無料のサービスであるなら、放置しても遺族の腹は痛まない。しかし、いつまでもサーバのスペースを占めているのはどうかという気はする。

逆に、死んでからもブログを読んでくれたりする人がいるとすれば、死んだからと言ってすぐに解約してしまうのが適当なのかどうか自信がない。

故人は削除してもらうことを望んでいたのか、逆に永遠に残してもらうことを望んでいたのかという問題もある。遺族がどう望むかという問題もある。

メール・アカウントはすぐに閉じてしまうべきなのか、それともしばらく見守って、死んだと知らない人からの不意の連絡に備えるべきなんだろうか?

妻はどうするのだろう? あるいは、僕はどうするのだろう?

そんなことを考えていると、こういった Web 上の諸々は、間違いなく昔はなかった財産の範疇に入るものなのだと思う。財産であれば遺産になる。いや、遺産というほど値打ちのあるものかどうかは、ケースバイケースであり、さらに受け取り手の感じ方次第でもあるはずだ。

ならば、こうは言えるだろう──少なくとも遺品である。無形の遺品である、と。

さて、このネット上の遺品は、一体誰がどういう考えに基づいてどんな風に処理するのだろう?

毎日少しずつ将来の遺品を積み上げながら、少しずつそんなことが気懸かりになってきた。

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