映画『春との旅』
【6月3日特記】 映画『春との旅』を観てきた。
小林政広という名前は前から知ってはいたが、前衛的で小難しい映画を撮る監督という印象があって、今まで一度も観たことがなかった。
パンフレットでも「従来の作品から一転してオーソドックスな作品を撮った」という位置付けをしているが、確かにこの映画にそれまで言われていたような実験的な色合いはない。
そして、その正攻法で見事に胸にズシンっと響いてくる作品を創り上げている。驚異的な映画だと思った。
冒頭、如何にも寒村という感じの掘っ立て小屋みたいな家から興奮した老人が飛び出してくる。74歳の元漁師・忠男(仲代達矢)である。そして、その後を19歳の孫娘・春(徳永えり)が大きな荷物を持って追いかける。
家の中で2人にどういうやり取りがあったのかは直接描かれない。ただ、見ているうちに少しずつ分かってくる。
忠男と春は2人きりで暮らしてきた。春の父も母もここにはいない。そして、春が給食係として働いてきた小学校が廃校になり、春は職を失う。
こんな淋しい村(これも後で北海道の増毛だと判る)では他に職探しもままならず、春は「東京に出て働きたいので、おじいちゃんはおじいちゃんの兄弟姉妹のところで世話になるわけには行かないか」と口走ってしまう。
恐らくこの話を半分まで聞いたところで忠男は怒って飛び出したのだろう。「俺を棄てるのか! 分かった。兄のところでも弟のところでも行ってやる」と売り言葉に買い言葉で飛び出したのだろう。興奮のあまり、足が悪いのに杖を投げ捨てて歩いて行く。
春は大慌てで後を追う。もうその時には自分の言葉に後悔している。でも、勢いから本当に兄弟姉妹を訪ねようとしている祖父を制止することもできず、結局彼の旅につきあうしかなくなってしまうのである。
それから2人して忠男の兄・姉・弟のところを順繰りに訪ねて行く旅が始まる。「順繰りに」ということはつまり、兄弟姉妹たちはおいそれと受け入れてはくれないということだ。
そりゃそうである。たとえ血を分けた肉親であっても、それぞれの家庭にはそれぞれの事情がある。それに普段からろくに親戚づきあいなどしてこなかった忠男のことである。住所や電話番号を頼りに訪ねても、もうそこにはいなかったりもする。そして、何よりも忠男の性格が災いしている。
映画の中で正に実の弟の台詞として語られているのであるが、忠男はプライドが高く偉そうにしているくせに、窮地に立つとすぐに弱音を吐く。要するにわがままなのである。大昔から確執を抱えていた兄弟もいて、そういう人たちがおいそれと引き受けてくれるわけがないのである。
高間賢治のカメラが凄い。ろくに動かない。寄りもしないし引きもしない。ずっと遠景のままであったり、ずっとクロースアップの芝居であったりする。めったに首も振らない。そして、一つひとつのカットがやたら長い。ドキュメンタリを見ているような気になる。そんな中で役者たちが驚異的な演技をしている。
『座頭市 THE LAST』で久しぶりに仲代達矢を見て、脇役でありながら他の役者とは格が違うなと思ったのだが、この映画ではその格の違いそのままで主演である。もう、奇跡的と言っても良いような名演であった。巧いと言われる香川照之が霞んでしまうほどに。
そして、徳永えり。最初に観たのは『放郷物語』だった。悪くないと思った。共演の安藤希の印象は全く残っていないのに徳永えりの印象は強く残った。そして、その後が『フラガール』。主演の蒼井優の親友で、最初にフラのチームから脱落する少女の役だった。小林監督もこの作品で彼女を見初めたらしい。
そして、『放郷物語』に続く飯塚健監督の『彩恋』では小気味よい大阪弁を聞かせてくれた。その後『うた魂』ではキーとなるコーラス部副部長の役。それから『アキレスと亀』ではビートたけしと樋口可南子の間に生まれたヤンキー娘の役。それに続く『ホームレス中学生』では再び小気味良い大阪弁を聞かせてくれた。
そしてこの映画では、何とも言えず野暮ったい服を着て、大きな荷物を持ってガニ股でちょこまか走りまわる。素直だけれど、田舎のパッとしない小娘である。携帯電話なんか持っていない。──そういう役って、多分既に名の売れている女優ではできなかったのではないだろうか?
ずっと気になる女優であったのだが、ここに来てこんな風に花開いたことがとても嬉しい。
そして、どちらかというとマイナーなこの監督の作品にこれだけの名優が揃っているという驚き。恐らく主演の仲代達矢がそうであったように、みんな小林政広による脚本に惚れ込んだのだろう。
あえて役柄は書かず登場順に紹介すると、大滝秀治と菅井きん、小林薫、田中裕子、淡島千景、柄本明と美保純、香川照之と戸田菜穂。それぞれが見事な名人芸である。特に大滝秀治と仲代達矢の2人芝居、そしてクライマックスでの戸田菜穂と仲代達矢のやり取りなど、筆舌に尽くし難い。
最初は兄弟姉妹を訪ねる祖父の旅に春が同行していた。それが終盤で少し転機が訪れ、最後は春の旅に祖父の忠男が同行することになる。この辺の展開も見事である。
そして、その辺りでさーっと波が引いて行くような「救い」がある。引いた波は必ず寄せ返す。しかし、一瞬ひたすら引く波のような安堵と救済が訪れる。
昨今「泣ける映画」が流行りだが、この映画を見てもそれほど泣けはしないだろう。何故なら映画を見ている我々よりも、スクリーンの中の忠男や春のほうがよっぽど悲しいのだということが手に取るように解るから。でも、そんな中でちゃんと救いは用意されている。
しかし、救いがあって絵空事のハッピーエンドでもない。引いた波は必ず寄せてくる。映画はそこまでしっかりと描いている。
もう、なんとも言えない映画である。ずっしりと重く、ひんやりと包みこむ。
佐久間順平の音楽が聞くからに劇伴という感じなのだが、このBGMの効果も大きいと思う。
これは今年度屈指の名作である。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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