『東京島』マスコミ試写会
【6月15日特記】 映画『東京島』のマスコミ試写会に行って来た。
僕は桐野夏生の原作は読んでいて、ああ、木村多江なら主人公の清子に適役だなあ、と思った。本当は多分もっとオバハン臭い感じなのだろうが、さすがに主演級の女優でそういう人はなかなか見つかるまい。
となると、飛び抜けた美人ではないのに男好きのする、何とはなしにそそる感じのある木村多江ならかなり当を得たキャストだと思った。そして、実際に、そんな期待をまるで裏切ることのない好演だった。
ただ、映画の始まり方には少し唐突感がある。
船の遭難シーンは全く描かず、東京島で生活を始めた当初の苦難もすっ飛ばして、生活がかなり安定して来たところから語り始めるからである。いきなり島の天然素材を組み合わせた立派な家を見せられると、やはり説得力に欠ける印象がある。
元の夫の鶴見辰吾もあっという間に死んでしまって、清子が野性に馴染めない男に少しずつ苛立って幻滅して行く様子が描かれないのも残念だ。ワタナベがどういう経緯でトーカイムラで孤りで生きているのかももっと丁寧に描いてほしいパートだった。
もちろん、所詮長い小説の全てを盛り込むのは無理な話ではある。しかし、僕がこの本を読んで印象深く記憶に残っているのはむしろこの辺りの最初のパートなので、個人的には少し残念。
逆に終盤の展開は映画らしい華を出しやすいシーンなのだろうが、映像にしてしまうとややご都合主義的な感じが強まった面もあったのではないだろうか。
小説の場合は話の途中であっても、巧く余韻さえ持たせればどこで切って終わることも可能だが、映画の文法ではストーリー的にある種明確にケリをつけることが求められる。すると、その明確さが逆に余韻を消してしまうことにもなりかねなくて、この辺が難しいところなんだろうと思う。
そんな中で今回秀逸だと思ったのは、清子の食欲と言うか、食に対するさもしいばかりのこだわりの描き方──なるほど、脚本家・相沢友子はあの小説をこういうふうに解釈したのか、と少し唸ってしまった。
ただ、そうであるなら、いっそのことその線であの小説を解体・再構築して、最後までその切り口で描き直すことはできなかったのかな、という気はする。もし、それができていれば、もっと凄みのある映画、凄みのある清子像になったのではないだろうか。
木村多江の清子は良かった。そして、その清子を演じた木村多江にも増して素晴らしかったのが、東京島の変人ワタナベを演じた窪塚洋介だ。この人は巧いねえ。このエキセントリックなキャラを、デフォルメしながらリアリティ充分に演じていた。
それから、エルメスのスカーフなどを使って、映画全体に散りばめられた見事な色遣いにも感心した。これがこの映画の一番特徴的だった成功点であるような気がする。
あの終わり方には少し疑問も残ったが、これは逆に余韻の要素である。概ね面白くまとめた映画であったと言って良いのではないだろうか。
【6月16日追記】 原作を読んだのが随分前で、少し記憶違いをしたまま書いていた部分がありましたので一部修正いたしました。
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