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Thursday, June 17, 2010

忘れられる結末について

【6月17日特記】 まあ昨日今日始まったことではないのだが、僕は本を読んでも映画を見ても、日が経つと見事にきれいサッパリ忘れてしまう。

いや、ま、「きれいサッパリ」と言うのはさすがにことばの綾で、何も憶えていないということではない。少なくとも面白かったか面白くなかったという感想はしっかり残っている。しかし、どこが面白かったと問われると途端に覚束なくなる。

ストーリーは大体憶えていない。特に肝心なところを憶えていない。

『1Q84』BOOK3 を読み始めた時も、BOOK1 と BOOK2 の肝心なところを憶えていない。ま、この本は幸いにして非常に親切に書いていてくれたので、BOOK3 を読んでいると次第に(おぼろげながら)BOOK1 と BOOK2 が甦ってきてくれたから助かった。

映画『告白』を観たときは、見終わってから気づいたのだが、原作小説がどうなって終わったのかをちっとも憶えていない。特に小説の結末が思い出せないことが多いのである。

この映画に関しても中盤まで監督によって細かく手を入れられていることは容易に分かったのだが、肝心のラストシーンがどこまで原作に忠実であったのかが思い出せない、と言うよりも、小説の結末を全く憶えていないので、映画のラストが原作に従ったものなのか、全く映画独自のものなのか判然としないのである。

試写会で観た『東京島』も一緒で、映画を見終わって気づいたら、小説がどういう形で終わったかまるで憶えていない。と言うよりも、小説の終盤が完全に記憶から抜け落ちている。

映画の中でフィリピーナの女たちが登場したところで、「よくもまあ、こんな、原作には全くなかったストーリーをでっち上げたものだ」とびっくりした。

ところが、原作小説は読んでいて映画はまだ見ていない人にあらすじを述べてもらうと、映画とほぼ同一である。これには我ながら驚いた。

で、このブログの映画記事でも、脚本家がオリジナル・ストーリーを付け加えたという前提で文章を書いていたので、慌てて修正した次第である。

しかし、なんでこんななんだろう?

いや、「なんでこんななんだろう」と言うのは、「なんで僕は忘れてしまうのだろう」という意味ではなく、「なんでこんなに忘れる人と憶えている人がいるんだろう」という意味である。

この彼我の差は何なのだろう?

多分こんなに忘れる人と憶えている人の他に、第3の分類として、「小説を読み終えて時間が経つと忘れてしまうけれど、映画を観たら思い出す人」というのもいるはずだ。確かに観たら思い出しそうなものだが、大抵思い出す人と必ずしも思い出さない人がいるのは何故なのだろう?

僕は自分が忘れてしまっていることを嘆く気はあまりない。ただ、人によって憶えていることが違うという現象が不思議で仕方がない。

例えば、妻は一度行ったことのあるところ、一度通った道については、ほんの通りすがりであっても旅先であっても、「こんな道で左に何があってその先はどうなっていて」と、何年経っても非常によく憶えている。

もちろん僕は何も憶えていない。

では僕は一体何を憶えているのか? 解らないけど、それはあまり気にしていない。多分他人が忘れている何かを憶えているのだろう、と楽観している。ちなみに原作と映画の両方を鑑賞する際には、忘れてしまっている方が楽しいのではないかとさえ思っている。

ただ、この彼我の差はどこから現れて来るのだろう? それが不思議で仕方がないのである。

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