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Wednesday, June 23, 2010

大相撲から日本人論

【6月23日更新】 野球賭博問題で大相撲名古屋場所が開催中止になるのではないかと言われている。あるいは、たとえ興業が行われても NHK は放送を中止するのではないかとも言われている。

何か不都合なことが起きると、とりあえず目前の何かをやめるという行為に意義を見出そうとするのが日本人の特徴のような気がする。

もちろん、いろんな要素があるのだから、そういう理屈で一刀両断にしてしまうのも危険なことではあるが…。

ひとつには、まだまだ他にも賭博に手を染めていた力士や関係者が出てくるかもしれない。それを考えると怖くて開催なんかできない。この問題が一件落着するまで興業は見合わすべきだ──という考え方があるのだろう。

その考え方は、まあ、全く解らないでもない。

ただ、一方で、プロなんだから、客の前で相撲取ってナンボやろ? ちゃんと年間に予定された試合はこなせよ──という考え方もあるだろう。それも解らぬでもない。

つまり、開催するかしないかというのは、それほど簡単な問題ではないのである。そのことは僕も解っている。

しかし、中には「問題を起こした責任をとって」「罰として」興業を中止すべきであるという考え方もあって、僕にはそれが良く解らんのである。そのことを僕は冒頭で「とりあえず目前の何かをやめるという行為に意義を見出そうとする」と表現してみたのである。

責任をとったり罰を与えたりするのはファンには影響を及ぼさないところで、あるいは最小限の影響に留める形でやるべきではないのか?

あくまで一般論、抽象論だが、そろそろ日本人も「いや、それとは別で、これはやっておこうよ」という発想に転換して行っても良いのではないかと思うのである。

少なくとも、そういう発言をしたものを袋叩きにするのだけはやめたほうが良いかな、と思うのである。

名古屋場所が開催されるかされないかは色んな見地から判断すれば良いとは思うが、「事件を起こしたのだから中止が当然」という風に流れないことを、僕は願っている。

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