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Saturday, June 12, 2010

映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』

【6月12日特記】 映画『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』を観てきた。大森立嗣監督。前作でありデビュー作である『ゲルマニウムの夜』が良かったのでマークしていた作品である。

で、見てみると、これが何とも言えずやりきれない映画である。荒んだ心を描くだけで救いなんてどこにもない。ただ、あてどなく堕ちて行くロード・ムービーだ。

ケンタ(松田翔太)とジュン(高良健吾)は同じ施設で育ち、今は同じ土木解体会社の作業員として働いている。電気ドリルみたいなやつでコンクリートの壁や柱を壊して行く「はつり」という作業を一日中やっている。

給料は安く、作業はきつい。おまけにケンタは先輩作業員の裕也(新井浩文)から理不尽な虐待を受けている。それは、同じ施設で育ち同じ解体会社に務めていたケンタの兄・カズ(宮崎将)がカッターで裕也をメッタ切りにした事件に対する終わりなき報復である。

そもそもカズが暴力的になってしまったのも、突然指が動かなくなるという、この仕事特有の病気にかかってしまったからである。カズは今網走の刑務所にいる。

ジュンは親が誰かさえ解らない。その分ケンタを慕っている。が、裕也には逆らえない。

そのジュンが街でナンパして連れてきたのが、「ブスでバカでワキガの」女・カヨちゃん(安藤サクラ)である。台詞にはなかったがデブでもある(監督の指示でかなり体重を増やして撮影に臨んだらしい)。

この3人が、ある夜、会社に忍び込み、事務所をめちゃくちゃにし、車と資材を盗み、裕也の車をボコボコにして当てのない旅に出る。ここからがロード・ムービーだ。当てもなく飛び出したが、結局カズのいる網走を目指すことにした。

実生活でこんな3人を見かけたら僕は決して共感を抱いたりはしないだろう。関わりを持ちたくない奴らである。なにしろ粗暴な奴らだから。当てがなさすぎるし、ひねくれすぎているから。暴力以外の解決策を知らないし、そして、知的レベルも極めて低いから。

ケンタは引き算さえまともにできない。「63-48=」と訊かれて答えられない。その後「1+1=」と訊かれたときには、さすがにこれは分かったはずだが、前の問に答えられていないバツの悪さから「5」とボケるしかない。

カヨちゃんは「網走って知ってる?」と訊かれて、「誰それ? 芸能人?」と答える。ケンタとジュンは2人とも八戸を「はちど」と読んで会話をしていて、どちらもそれが間違いだとは気づかない。

3人は走る。そして、途中でカヨちゃんはポイっと捨てられる。いろんなことが起こるが、どこにもゴールはない。ヒントもない。救いも解放もない。喜びも希望もない。計画も秩序もない。

ケンタはしきりに「ここをぶち壊したら新しい何かがある」と言うが、そんなものはない。そもそも何か目標があって、その目標に至る道を阻んでいる何かを壊すというのではなく、その先に何があるか知りもせず、イメージもなく、ただ目前の何かを壊そうとするだけなので、そこから何かが開けてくるはずがないのである。

そんな奴らに僕は共感は持てない。しかし、眼が離せなくて、そして、見ていて痛いのである。どこか観ている者の痛いところを突いてくる映画なのである。見たくないものを無理やり見せて、観ている者の傷口に塩を塗りこんでくる映画なのである。

例えば、旅の途中で寄った友だち・洋輔(柄本佑)は知的障害者の施設で働いているのだが、このシーンで出てくる人たちはどう見ても本物の知的障害者なのだ。

こういうところに監督・脚本の大森立嗣の考え方が表れていると思う。普段眼を背けているものに眼を向けようとしているのだ。どこか我々の痛いところを突いてくる。荒んだ世界を描いて、我々のかさぶたをめくりにかかっているような気がする。

洋輔は珍しく金持ちの親がいる登場人物なのだが、その左目は親に潰されてしまっている。

カヨちゃんの描き方もそうだ。僕は安藤サクラのことを今まで「こんなにブスなのに親の七光りで女優になりやがって」と嫌ってきた。しかし、この映画で彼女が「自分がブスであることは知っている」と語り、そして「誰とでもセックスする」と言うのを聞いて、初めて彼女自身が実生活で同じようなコンプレックスを抱えて生きてきたのだろうなあということに思い至った。

考えてみたら、監督の大森立嗣をはじめ、松田翔太、安藤サクラ、柄本佑と、この映画にはなんと二世が多いことか。彼らには彼らなりに親に対するコンプレックスもあったのだろうと今になって思った。

松田翔太は兄の松田龍平に今まで少し遅れを取ってきた感があったが、この映画で花開いた感じがする。比較的長いカットの中で高良健吾と安藤サクラも非常に存在感のある芝居をしている。そして、宮崎将、柄本佑、洞口依子、多部未華子、美保純、新井浩文、小林薫、柄本明と名優たちがぞろぞろと出てきて名演技を披露してくれている。

そして、最後に流れるのがこの歌なのか! と、ちょっと唸ってしまった。

あんまり解釈はしたくない。解釈をし始めると急につまらなくなってくるから。ただ、ともかく暗澹たる気分に落ち込む映画である。そして、多分今の僕らにはそういうことが必要なのだと思う。

怪物みたいな映画であった。

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Comments

初めまして。
検索で辿り着きました。
さっき、私もこの映画を見たばかりです。
そしてこのレビューが私の代弁したいことまんまだったので、思わずコメント残してしまいました。
「見たくないものを無理やり見せて、観ている者の傷口に塩を塗りこんでくる映画なのである。」
その通りだと思いました。
素敵なレビューの掲載に感謝します。

Posted by: | Sunday, March 20, 2011 at 09:12

> 名無しさん
コメントありがとうございます。良い映画でしたね。キネマ旬報ではなんと第15位にランクインするという快挙でした。

Posted by: yama_eigh | Sunday, March 20, 2011 at 09:39

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