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Monday, May 24, 2010

「10年日記」の効用

【5月24日特記】 このブログにも何度か書いたかもしれないが、僕は「10年日記」を愛用している。ご存知のない方のために書くと、同じ日の10年分が1ページに収まっている日記である。

例えば今年の年初からつけるために昨年末に買ったとすると、1ページ目は1月1日で上から4行分が2010年用のスペースである。そのすぐ下の4行が2011年の1月1日、その下の4行が2012年の1月1日と続き、一番下の4行が2019年の1月1日である。

当然次のページは同じ構成で1月2日用のスペースが10年分並んでいる。

そういう形にしておくことによって、書き始めた年は単に1日分のスペースが狭いだけの、しかし、少し書けば埋まってしまうので続けるのが容易な日記、であるにすぎないが、翌年以降は、昨年の、一昨年の同じ日に自分は何をして何を思い、世の中ではどんなことが起こっていたのかを確認できる便利なものとなる。

で、これを続けていると、あまりにも自分がものを憶えていないことに唖然とするのである。

もちろん、去年の今日、晩ご飯に鯖の塩焼きを食べた、みたいなことは憶えているはずがない。もっと公的なトピックスであっても、例えば鳩山由紀夫が首相になったのがこの週であったのかもう1週あとであったのか、そんなことも忘れていて当然である。

しかし、そもそもこんな事件が起きたのだ、ということさえ忘れていることが、我ながらあまりにも多いのである。

例えば、昨日5月23日の欄を見ると、去年のところに「韓国の盧武鉉元大統領が自殺」と僕は書いているのだが、今読んでいる自分は全く覚えていない。盧武鉉って自殺したんだっけ、どころか、えっ、盧武鉉って死んだっけ、などと思う始末である。

よく読むと「汚職の汚名をかぶって飛び降り自殺した」と書いてある。そう言われると(「言われると」っちゅうのも変だが)、確かに飛び降り自殺だったという記憶がうっすらと蘇ってくる。汚職の嫌疑をかけられて真相が解明されないまま自殺したということも思い出す。しかし、「汚職」が具体的にどんな事件だったのか全く思い出せない。

そんな体たらくなのである。

それはこういう政治的・社会的な大事件・大事故に限ったことではない。身の周りのことであっても、憶えていても不思議でないはずの大きなことを忘れている自分が不思議に思えるくらいである。

僕は「10年日記」というのは過ぎてしまったことを思い出すのに便利な道具だと思ってきたが、単にそれだけではなく、自分がどれだけものを忘れているかを確認できる貴重なツールであると気がついたのである。

しかし、そのことさえもしょっちゅう忘れてしまって、こうやって具体的な記述を見ては自分の記憶のいい加減さを何度も何度も思い出すのである。これは貴重な体験である。だから、この日記はやめるにやめられなくなるのである。

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