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Sunday, April 04, 2010

CX『悪いのはみんな萩本欽一である』

【4月4日特記】 フジテレビが 3/17 に放送した『悪いのはみんな萩本欽一である』を観た。

関西では放送しておらず、この後も放送の予定があるのかないのか分からなかったので、東京在住の twitter 友だちに録画DVDを送ってもらったのである。

演出はテレビマンユニオンの是枝裕和氏である。

氏は「テレビマンユニオンの」と言うよりも、『誰も知らない』『歩いても歩いても』『花よりもなほ』『空気人形』などの映画監督と言った方が通りが良いのかもしれないが、もともとはテレビマンユニオンでドキュメンタリを撮っていた人で、ドキュメンタリでの受賞も多く、僕も何本かは見ている。

他の人のプロデュースであったなら、僕はこの番組を見なかったかもしれない。是枝氏がこのタイトルで撮ったからこそ、どんなものを撮ったのか興味が尽きず、非常に大きな期待を持って観たのである。

番組の冒頭で紹介されているように、これは BPO (放送倫理・番組向上機構)が発表した『最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見』を受けて作られたものである。そして、もうひとつ言えば、確かこの4月からだったと思うが、是枝氏は BPO の放送倫理検証委員会の委員に就任しているはずである。

形式としては、決して本格的にではないが、一応欽ちゃんを被告人席に座らせる裁判を擬したものになっている。是枝氏自身が(顔は見せずに)裁判長的な狂言回しをやり、CX のデタガリこと三宅氏、日テレのT部長こと土屋氏、そして名前は忘れてしまったが評論家の某氏の3人が証人という形で証言台に上がっている。

タイトルについては、僕はかなりの違和感を覚えていた。萩本欽一という人は、最近の荒廃するTVバラエティを背景に語るとすれば、バラエティの歴史の中では相当良心的な存在ではないだろうか──少なくとも僕はそう認識してきたからである。

僕の理解では、彼は弱い者いじめのギャグは排除してきた。坂上二郎を笑いのネタにして、これでもかこれでもかと二郎さんを攻め立てたのは事実だが、それは決して弱い者をいじめたのではない。コントという役割の中で、今で言う「どM」的な二郎さんの面白さを引き出しただけだと思う。

その同じようなことを番組の中で欽ちゃん自身が「"ふり"と"こなし"」という表現で語っていた。

"素人いじり"にしても、確かに素人を笑いのネタにはしているが、決してバカにはしておらず、そこには結構暖かい"救い"があったような気がする。

そして、もう一点。『裏番組をぶっ飛ばせ』の例もあるので「完全に」とは言えないが、僕の理解では欽ちゃんという人は"下ネタ"を出来る限り避けてきた人である。ラジオ版の欽ドンなどではリスナーからの下ネタ投稿には比較的厳しかったのを憶えている。

だから、「悪いのはみんな萩本欽一である」と言うのは、番組冒頭で欽ちゃんが「そりゃあ、行き過ぎなんじゃないの?」と言っているように、ちょっとひどいのである。だからこそ、僕はこの番組が気になったのである。是枝氏は本当にそんなことを思って作ったのかどうか?

まあ、しかし、そんなことは言うまでもない。もちろん是枝氏はそんなことはちゃんと解っているのである。

むしろこの番組で次々と明らかにされているのは、欽ちゃんがTVとお笑いの歴史の中で如何に先進的、いや革新的(かつ破壊的)な人であったかということである。如何にものを考えて笑いを、番組を構築していたか、如何に旧来の手法や呪縛から逃れて新しい笑いを発見して行ったか、ということである。

もっと言えば、その欽ちゃんの手法の真髄が見えないまま、上っ面を掬いとってバラエティを作っている現在の多くのプロデューサ/ディレクタが、笑いというもののあり方を損なっているのではないだろうか。そして、同じように上辺だけを見て、それを実生活で真似してしまった人が凶悪な社会的事件を起こしてしまうのではないだろうか。

悪いのは萩本欽一ではないのだ。本当に悪いのは、欽ちゃんを超えられない、いやまともに追随さえできていない、いやそれどころかちゃんと理解さえできていない我々のほうなのである。

この番組を見て「結論がない」などと書いている人もいたようだが、僕は是枝氏がそこまでのことを言っているのが聞こえてくる気がしたのである。──みんな欽ちゃんという天才が初めに手をつけた。そして、みんながそれを真似したが、ちゃんと真似し切れない連中がバラエティを程度の低いものにし、ちゃんと構造を見抜けない視聴者(それが専ら視聴者自身の責任であると言う気はないが)が事件を起こすのである。

『悪いのはみんな萩本欽一である』という裏腹なタイトルは、ともかく何かに責任の大半を押しつけて自らが責められることを回避しようとする態度への強烈なあてつけなのである。少なくとも僕にはそういう風に読めた。

ただし、欽ちゃんがこの番組の中で非常に印象的な台詞を残している。

「いやあ、良い人になっちゃうと、お笑いはやりづらくなるねえ」

お笑いというのは、事程左様に一筋縄では行かないものなのである。そのことはまず一番の前提である。

この番組の一番の意義は、こういう番組を作ったということ自体にある。今までテレビマンはあまり考えずに走り続けてきた。本来は時々こういう風に立ち止まって考えてみるべきなのである。やっとのことでちゃんと考えてみたのがこの番組なのである。

だから、この番組が一般の視聴者にとって面白いものであったかどうか、意義のあるものであったかどうかは定かではない。本来はカメラの裏側で議論すべきテーマなのかもしれない。

しかし、そういうものを敢えて番組にしてしまうことこそが、如何にもテレビのテレビらしいところ、テレビの本質なのである。そういうテレビの面白さをちゃんと心得た人間が作った番組であるからこそ、僕らはこれを信頼して観ることができたのではないだろうか。

そして、今書いたのは是枝裕和についてであるが、同じことが萩本欽一に対しても成立しているのだと思う。

制作者も視聴者も、もう一度「テレビの面白さって何だろう?」と考え直してみる必要があると思う。

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私、CNET Japanで読者ブロガーをしているmugendaiというものです。ブログの一部を僕の「欽ちゃんは悪くない」http://japan.cnet.com/blog/mugendai/2010/05/24/entry_27040147/
で引用させていただきました。ただし、この読者ブログは今月30日に終了予定です。

Posted by: mugendai | Tuesday, May 25, 2010 00:12

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