『シーサイドモーテル』マスコミ試写会
【4月19日特記】 映画『シーサイドモーテル』のマスコミ試写会に行ってきた。『スクールデイズ』の守屋健太郎監督の新作。
低予算の割にはかなり良い役者を集めてある。
山奥にあるくせに"シーサイドモーテル"という名の、ボロいモーテルの4室で繰り広げられるコメディ。4つの部屋での騒動がそれぞれ微妙に繋がっているのがミソである。
この映画を楽しめるかどうかの鍵は、最初にこの設定を抵抗なく受け入れられるかどうかだと思う。残念ながら今回僕は全く受け入れられなかった。
これは映画作りの考え方や手際の問題ではなく(手際はむしろ良い)、ひたすら相性の問題だろう。何かにつけて僕とは相性が悪かったのである。ひとつ例を挙げれば、僕とは女性観、セックス観があまりに違っていたからではないだろうか。
そのことを説明するために、今回は少し設定や筋に踏み込んだ記事になると思うので、これからご覧になる方はご注意いただきたい(と言っても、最後の最後まで書いてしまうような野暮なことはしませんのでご安心ください。ただ、あくまで何も知らずに映画を見たいと言う方はここで読むのをお止めください)。
最初に103号室: インチキ化粧品のセールスマン・生田斗真とコールガールの麻生久美子。そもそも今の日本に"コールガール"なんてものがいるのか? 恐らくいるにはいるのだろうけれど、素直な設定であればホテトルかデリバリーの風俗嬢ということになるだろう。
作者は恐らく、そういう日本に実在する風俗産業の世界ではなく、まるで古いアメリカ映画に出てくるコールガールみたいなものを描きたかったんだろうと思う。それは車のナンバープレートひとつを取ってみても明らかである。そして、そういう典型的にアメリカ的なものをパロディ化することによって、なんだか国籍不明の映画を作りたかったのだろうと思う。
その意図は解るのであるが、しかし、出てくるのは日本語の役名を持った、典型的に日本人顔の役者たちである。モーテルの外観はともかくとして、言語も風景も日本である。それでアメリカや無国籍を描こうったって土台無理があるのである。
どうしてもそういうものを描きたいのであれば、登場人物の名前をいっそのことアフリカ人かロシア人みたいな名前にしてみるとか、登場人物を、どっか線が切れてるとしか思えないようなぶっ飛んだ奇人キャラにしてみる等の手立てが必要だったのではないか?
そして、こんな山奥のモーテルをホームグラウンドにしているコールガールがいること自体が不自然である。客がそんなにいるとは思えない。逆にこんな場末にこんな綺麗なコールガールがいるとも思えないし、こんな汚い宿に泊った客が4万円出すとも考えにくい。
さらに、この2人に関して「ダマしてる? ダマされてる?」というコピーがついているのだが、少なくともコールガールのほうには騙す必然性がない。前金で金をもらっているわけだから、やることさえやってしまえばそれ以上騙したりする必要はない。
ただおざなりのセックスをするだけにするか、それともそれ以上のサービスをするかはひとえに彼女が優秀な娼婦かどうか、そして天性の娼婦かどうかを物語っているに過ぎない。彼女はフツーに商売をしているだけなのに、それを「インチキの愛を売っている」などと小ぎれいなまとめ方をされると、それは違うという気がするのである。
さらに、なんであれ自分で呼んでおきながら、時間制限もあるだろうに悠長に話をしていたり、挙句の果てにセックスしないと言ってみたり、それは違うなあと思うのである。
この辺の職業女性の描き方、女性を買う男性の描き方に決定的な違和感を覚えてしまった。守谷監督という人がどんな人なのかは知らないが、ひょっとすると風俗遊びなんてほとんどしたことがない真面目な人なのではないだろうかと思った。
ともかく全般に知が勝ちすぎた、如何にも頭で考えましたという感じの映画である。早送りで場面転換するなど、いろいろ効果を凝らしているのだが、それがまた如何にも人工的な印象を与えてよろしくない。
驚いたのはこの映画に原作があったこと。僕はてっきり監督と脚本家が机上で書き上げた虚構だと思っていたのだが、そうでないのである。するとこんな風に映画化されたこの原作は一体どんな作品だったのだろう? にわかに想像がつかない。
202号室: 3000万円の借金を踏み倒して逃げたチンピラ・山田孝之と連れの女・成海璃子。それを追ってきたヤクザの玉山鉄二とその舎弟・柄本時生。そして、そこにプロの"拷問職人"である温水洋一が加わる。
ここでは金を踏み倒した奴をヤクザが殺そうとするのは解る。なぶり殺しにしようとするのも解る。しかし、わざわざ外部から人を雇って拷問する必然性がない。
拷問して何かを白状させようとしているのなら別だが、山田孝之がどこかに金を隠しているなどの想定ではないので、そうすることによる、組にとってのメリットがないのである。殺すだけなら組員だけでやれば済むし、結局殺すのであれば組織の外の人間を雇って拷問する意味がない。
そして、ヤクザ2人がやるべきことは、まず山田孝之の目の前で成海璃子を強姦することだろう。作者はそういう生々しくて現実感が強すぎる展開をわざと避けたのだろうとは思うが、この部屋の中での行いがあまりにヤクザの道から外れているので絵空事に見えるのである。
別に強姦を描かなくても良い。ただ、型通りやるべきことをやろうとして、ところがこの2人のヤクザにとんでもなく間抜けな欠陥があって結局失敗してしまう、みたいな展開にして笑いを取るべきではないのだろうか?
203号室: マンネリ夫婦の古田新太と小島聖。ここが一番笑える。ただ、古田の独白が多いのが芝居がかっていて少し抵抗を覚えた。
それから、103号室の前を古田が通るシーンでは、2人の警官との距離をもっと詰めて素早く展開しないと笑えるものも笑えなくなってしまう。
そして、102号室: 潔癖症のキャバクラ嬢・山崎真実を連れ込んだ池田鉄洋。
この設定が決定的に破綻しているのは、キャバ嬢を落とすために200万円もかけて通いつめた男が、最後のいざ大事なときに金をけちって高級旅館ではなくボロ・モーテルに連れ込むことである。天地がひっくり返ってもあり得ない設定だ。女を落とす最後の仕上げである。思いっきり金をかけるに決まっているではないか?
どうしてもこういう展開にするなら、贅沢三昧でここまで来たのに、最後の最後に会社が倒産して急に金がなくなった、などの新たな設定が必要なのではないか?
そして、セックスシーンがあるのに、しかも駅弁ファックなのに女性の首から下は一切映らない。昭和の半ばじゃあるまいし、いまどきこういうご清潔な撮り方されると強い嫌悪感を抱いてしまう。
──えらく長々と書いてしまったが、とにかく僕はこういう風にひとつひとつ引っかかってしまって、とても中まで入り込んで行けなくなってしまったのである。
これはシリアスなドラマではない、軽いコメディなのだ、と思って観れば良いものを、どうも変なところで引っかかってしまった僕の方が悪いのかもしれないが、一旦引っかかってしまうと次々にいろんなことが気になって先に進めなかったというのが実情である。
僕は決してリアリズム至上主義者などではなく、ファンタジーも、スラップスティックも大好きである。しかし、やっぱり映画というのは視覚に働きかける度合いが高いので、こういう作品を映画化しようとするとしんどいのではないだろうか? むしろ、観客の想像力によって何もないところにいろんなものを見ることができる舞台向きの作品なのではないかと思う。
ただし、観客のみんなが僕と同じところに引っかかるわけではない。事実試写会場では笑い声が絶えなかった。みんな設定をすんなり受け入れて随分楽しんでいる様子だった。
温水洋一や古田新太の役柄は秀逸で、しかも芝居が上手いので大いに笑えたのも事実である。サイド・キャラとして出てくる2人の警官(赤堀雅秋とノゾエ征爾)も香辛料の役目を果たしている。4人の女優も個性豊かである。セットや衣服の色彩にも僕は好感を抱いた。
そして4つの部屋の物語を巧みに絡ませて、最後は冒頭に戻って行くオチも見事に計算され尽くしていて、そういう意味ではとてもよく書けた脚本だと思う。笑わせるだけではなく余韻もちゃんとある。
決してお勧めできない映画だなどと言う気はない。何年か間をおいてもう一度見たら、ひょっとするとすんなり入り込めて楽しめるかもしれない。しかし、ごめん、今回は入り込めずに終わってしまった。
ま、そういうこともあるのである。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
※この記事に関していくつかコメントもいただきました。そちら↓も併せてお読みいただけると嬉しいです。
Comments
検索から来ました
どんな作品でも感じ方は人それぞれですよね
ただ、ひとつだけ
コールガールは自分で呼んだのではなく
部屋を間違えてやって来たのです
Posted by: | Tuesday, April 20, 2010 02:02
> 上記の名無しさん
わざわざ検索して来られたということは、関係者の方か余程のファンの方なんでしょうね。もし、お気を悪くされたのならゴメンナサイね(でも、嘘を書くわけにも行かんので…)。
で、コールガールの件ですが、僕が「自分で呼んでおきながら」と書いたのは2回目のシーンのことです。
1回目は勝手に部屋を間違って入って来られても、さすがにその気にならず何ごとも致すことなく帰ってもらった。
ところが、彼女が残して行ったチラシが気になり、迷った挙句に結局自分で電話してもう一度呼んだのです。
こういう時って相当ギンギンになってるもんでしょ?
しかも、来てすぐに前金で払ってる。金を払わずに追い返すのならともかく、金払ってしまってから余裕かましすぎなのが気になったという意味です。
ま、もちろん本文中にも書いているように、こんなこと全然気にならない人もいるんでしょうけどね。
ともかく僕はめちゃくちゃ引っかかっちゃったという訳です、申し訳ないけど。
Posted by: yama_eigh | Tuesday, April 20, 2010 09:23
自分も試写を見たので他の方の感想を見ようと検索してやってきました。
正直あの作品をこんなに難しく考えこんで見る方がいらっしゃるというのにすこし驚きました。
自分は女性なので見る感覚も違うのかもしれませんね。
たしかにあれ?って思うところはあったかもしれませんが、どの作品に多かれ少なかれあるレベルのものでしたのでほとんど気にならずケラケラ笑って楽しめました。
自分は濃いキャラの役所にそれぞれのキャストがはまっていてかなり満足に楽しめました。
本当に感想は人それぞれなんだなと思って、通りすがりなのについ書き込ませていただきました。
Posted by: | Wednesday, April 21, 2010 01:50
> 上記の別の名無しさん
書き込みありがとうございます。僕は多分なんか変なところにカチッと嵌ってしまったんでしょうね。周囲の観客は爆笑していたので、僕のほうが例外的なんだろうなあとは思っていました。
ただ、一旦引っかかり始めると、なかなか抜けられないもんです。少し事情があって、見る前から妙に力が入ってしまっていたのも事実です。
ただ、いずれにしても僕の感じ方を押し付けて作品を断罪するつもりはありませんし、僕自身も実は何箇所かでは声を上げて笑いました。楽しんだのも確かなのに、否定的な記述が多くなりすぎていたかもしれません。
これでもかなり頭を冷やしてから書いたつもりではあったのですが…。お読みになった方に意外感を与えただけで不快感を与えたのでないことを祈るばかりです。
Posted by: yama_eigh | Wednesday, April 21, 2010 09:14
初めまして。先程この映画を観て来てどうにも脚本の甘さが気になり、どんな感想を持ってるのかと検索してここにお邪魔しました。
┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~
あれだけの役者を使っておきながら生かしきれてない脚本でした。温水さんは楽しんで演じてる様で良かったですが、古田新太ファンとしてはアノ女装も含め余りに意外性が無い役でしたし、麻生久美子も台詞に戸惑ってる感がありました。生田斗真はこの映画の主役には力不足。人間の滑稽さを表現しきれていません。何だか自虐ネタっていうか「やっぱり人間失格なんだ・・」ってそれは自分の前作でしょーが!でもって台詞のなかで「君にとってはただの戯れ言かも・・」えっ!なんですって?若いあのキャラがザレゴトなんて言いますか?嘘くさい。
密かにおっ!と思ったのは玉山鉄二です。これまであまり熱心に観ていた役者さんではなかったのですが哀愁があって良かったです(やくざを演じると俳優さんはみんな魅力的に見えるかもしれませんが)。私は映画にリアリティを求める訳ではないので、あり得ないハナシや設定でも良いのですが、一人一人の人物に関しては感情移入出来るだけのリアリティが欲しいし、それなりにエンターテイメントであって欲しいのです。この映画の様に別々のストーリーを一本にまとめるならやはり相互のハナシを巧く絡ませて欲しいのです。ムダな場面,人物含めた設定も幾つか有りましたし、同じ状況を2度も使う(自動車事故で死ぬ)のは、偶然性を嘘でぬり固めて娯楽として魅せる映画の中では、その設定の必要性を薄めてしまうだけです。こういう映画こそウェットな挿話より、オチとして全員悪人という爽快さが欲しかったです。観終わってから、ジャームッシュの「ミステリートレイン」や石井克人監督の「鮫肌男と桃尻娘」のギャグセンス、スピード感を懐かしく思いました。
衣装、セットは好みでした。
長々と極めて個人的な感想を述べさせて頂きありがとうございました。
Posted by: gloria | Wednesday, June 09, 2010 01:53