『エクスタシーの湖』スティーヴ・エリクソン(書評)
【3月23日特記】 ダメだこりゃ。全く歯が立たなかった。エリクソンの小説を読むのはこれが4作目だが、今までで一番難解で、今までで一番読むのがしんどい小説だった。
本を買った時からその予感はあった。栞の紐が2本ついているのである。ということは常に2箇所をマークしながら読み進まなければならないということだ。果たして途中から物語は2筋に別れて行く。
この本は2段組だが、ちょうど2番目の章に入るところで最初の章は終わらずにそのまま2番目の章に食い込んで、左側のページの左から4行目だけを使って(ただし上下の余白はほとんどなく紙の上から下までフルに使って)主人公クリスティンの語りが延々と続く。
一体どういう順番で読めば良いのかさえ解らない。
おまけに、その1行以外の物語の段落も、行の長さが一定せず、しかもセンタリングされていたり上や下に固定されていたりして不思議に波打っている。
その2つの筋が、小説の終わり近いところで見事に合流して1つの文章になるのである。この構造は一体何なのだろう?
「あの時は、危険が勝ったのだ。あの時は、恐怖が形をとった。恐怖は彼女が恐れるあらゆるものから離れて、まともなものからも愚かなものからも離れて、それ自体の存在になった。まともなものよりも、愚かなものよりも大きくなった」(71ページ)
とか、ここではメロディの正体は蛇なのだが、その蛇が
「まず自分の尻尾を、それから残りの部分を飲み込むようにとぐろを巻いていたが、そこでは、恐怖が美になり、それから美が恐怖になるのだ」(323ページ)
などと、よく理解はできないのだが、鮮烈に刺激的な文章がぎっしり詰まっている。
しかし、だからと言ってすんなりのめり込んで読めるような文章ではない。上記の引用からも判るように、恐らくテーマのひとつは「恐怖」である。だが、その周りをあまりに重層的にいろんな登場人物と時代と物語が取り囲んでいて、繋がりさえよく読み取れない。
「ロサンジェルスが湖になってしまう話だ」と出だし部分を説明するとちょっと気を惹く設定に聞こえるだろう。でも、そこからストーリーは無限に展開して行く。あらゆるところにメタファーが渦巻いている。読みながら何度眠りに落ちてしまったことか!
それを助けてくれたのがあとがきである。訳者あとがきを読んで初めて気づいたことがどれほどあっただろう。
──斜字体の一人称と標準体の三人称の記述があったこととか、「ああ、そうか、あれは天安門事件だった」とか、クルク、ケール、ケイルは全てカークの別名であることとか、ともかくあとがきを読んで初めて気づくことが、悔しいけれど山のようにある。
この小説が『真夜中に海がやってきた』の続編となっている設定があることなど、何年も前にそれを読んでいた僕ではとても気がつくものではない。
最初にあとがきを読むというのは読書の方法として邪道であるが、この本だけはそうしたほうが良いのかもしれない。いや、恐らく一番正しいのは、消化しきれないままともかく1回読み通して、それからあとがきを読んで理解を深め、さらにもう一度読み返すことなのだろう。
圧倒的に歯が立たなかった。そして、読んでいる途中で何度も寝てしまった僕が書くのは絶対的におかしいのだが、それでも読み終えてみると(そして、あとがきを読んでみるとなおさら)面白かったのである。
不思議だ。いつかもう一度読んでみたい。
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