映画『パレード』
【2月21日特記】 映画『パレード』を観てきた。2月にして早くも今年2本目の行定勲。原作は芥川賞作家・吉田修一の山本周五郎賞受賞作。
やっぱり行定勲監督が得意なのはこういう群像劇なんだよなあ、としみじみ思った。すぐに思い出したのが『きょうのできごと a day on the planet』である。あの映画も見ていてしんどかったが、なんか見終わって捨てがたい感じがあった(ちなみに2004年度のキネ旬38位)。
この映画も途中結構しんどい。そして最後が近づくにつれてだんだん重くなってくる。まるで日本映画の伝統を踏まえたかのような、やや暗めの画面がその重さを増幅する。
見ていて途中がしんどいのは却々劇的なことが起こらないからである。なぜならばこの映画はある種劇的なことが起こらないしんどさを描いた映画だから。そして、終盤になってそのしんどさが重さに転じてくる──そういう構造である。
中心となる登場人物は5人。まず2LDKのマンションをルームシェアしている若者4人:大学生の良介(小出恵介)、無職の琴美(貫地谷しほり)、映画会社勤務の直輝(藤原竜也)、イラストレータ兼雑貨屋店員の未来(香里奈)。そこにある日、男娼のサトル(林遣都)が転がり込んでくる。
ちょうど近所で連続暴行事件が起こっていたので、未来はサトルが犯人ではないかと疑ったりする。僕はこの犯人探しを本筋にしたサスペンスかと思って見に行ったのであるが、全然違った。
良介は先輩の彼女である貴和子(中村ゆり)に惚れている。この貴和子がまた平気で二股かけるような女である。
琴美は同郷の有名若手俳優・友彦(竹財輝之助)と交際していて、撮影の合間に彼が呼び出してくるのをずっと待っている。
直輝はバリバリと仕事をこなし、毎晩近所をジョギングする健康な男。そもそもこのマンションは直輝が恋人だった美咲(野波麻帆)と住んでいた家だった。
未来はいつも酔っ払ってるか二日酔いかのどちらかである。サトルを連れてきたのも酔っ払った未来であったが、未来にはその記憶さえなかった。
そして、サトルが一番謎に包まれた人物である。近所の暴行事件というのもストーリー上ではサトルを謎めいた人物として形容するための最初の道具だったのであるが、その後もよく分からない行動を取り続ける。
行定監督は今回もこういう多くの若者たちが綾なす模様をとてもうまく構築して行っている。本がよく書けているので登場人物の像がくっきりしている。そして出演者も素晴らしい。
貫地谷しほりはそもそもずば抜けて上手い女優だし、藤原竜也も安定感たっぷりの若き大物である。その2人に絡む香里奈、林遣都がまたとても腕を上げたと思う。中村ゆりと野波麻帆もとても印象的である。そして隣人の正名僕蔵がとんでもなく怪しい。
映画が終わったところで後列に座っていた女性客が「何が言いたいのかさっぱり解らん」と2度繰り返して呟いていた。確かにこれは、小中学校の国語の時間にさんざん訓練された「作者が一番言いたかったのは何でしょう?」的な読み解き方からは最も遠いところにある作品である。
映画の途中でばらまかれた謎や疑問は全部きれいに拾い集められて解決されたりはしない。宙ぶらりんで気持ちの悪い終わり方である。何故ならそれが恐らく作者の意図したことだからだろう。
なんてことを思いながら帰り道にパンフレットを読んでいたら、この映画は『ロックンロールミシン』『きょうのできごと』に続く"モラトリアム3部作"の完結編なのだと書いてあった。前者の映画は見ていないが、なるほどそういうことなのかと思った。
僕は映画の制作者たちとかなり近い感覚で映画を観ていたわけだ。
作者と同じ感じ方をするというのは一般的にはあまり素敵なことではないと僕は思っている。しかし、この映画に限っては原作者や監督とどれだけ感じ方を共有できるかどうかで、評価は大きく変わってくるのかもしれない。
あんまり面白くない映画である。しかし、この映画は面白くないところがミソなのである、ということに気づかない限りは、この映画はいつまで経っても面白くない映画なのである。そういうところがとても面白かった。
本当はもっと重層的な曲なのにあえてベースのパートだけ抜き出して劇伴に使った、朝本浩文の音楽がとても効果的だった。映画の最後に全てのパートが重なって完成した曲が流れてくる。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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