随想:駅前混雑考
【2月3日特記】 退勤ラッシュ時に帰ると、我が家の最寄り駅の前はお迎えの車がごった返している。結構大型の外車が比率が高い。駅前から上りの道が続いていて、その先の丘の上に立派なお屋敷がたくさん建っているのだが、多分そのあたりの家の車ではないかと思う。
乗って待っているのは妻たち。言うまでもなく、車がなければ帰れない夫を迎えに来ているのである。
ご苦労なことだなあ、と思う。
夫の帰ってくる時間は日によって違うだろう。何時に帰ってくるか分からない夫を待ちながら、晩ご飯の支度もしながら、電話がかかってきてから30分後だか1時間後には車を出して駅に着いていなければならないのである。
夫が宴会の日は子どもたちとご飯を済ませて、後片付けも終えた上で、10時とか11時に迎えに来るのだろうか。
我が家ではこんなことはあり得ない。
まず妻が嫌がるだろう。妻も働いているからそれができないのは確かだが、たとえ働いていなくても、そういう生活を選びはしないだろう。迎えに行くという行為を嫌がるのではなく、迎えに行くために毎日待機しているというライフスタイルを嫌がるだろう。
僕のほうもそんな風な形で負担を掛けるのは本位ではない。却って居心地が悪い。
だから、お互い好きに働いて好きな時間に帰ってくるのが気楽で良い。
彼らはどうなのだろう。特に奥さんたちのほうは。考えてみたら、夜迎えに来ているということは、朝は駅まで送っているということなのだろうか? それを考えるとますます頭が下がる思いである。
彼女たちは別にそういうライフスタイルが嫌でも何でもないのかもしれない。いや、それどころが夫を送り迎えすることが嬉しくて仕方がないという人だっているのかもしれない。
あるいは、送り迎えは面倒くさいけれど、送り迎えする必要がある場所を選んだおかげで広い邸宅に住めるとか、眺望が素晴らしいとか、そういう別のメリットがあって、夫婦がともにそのメリットをメリットとして認め合い合意したからこそ、そういうライフスタイルが成り立っているのかもしれない。
ウチの場合は2人とも最初から駅に近いところに住みたかったし、それに、いずれにしても今ウチには車がないので、送り迎えなんてやりたくてもできないのであるが(笑)
そういうわけで、僕らは高台ではなく駅から徒歩圏内のところに住むしかないのである。
でも、こんな風にいろんな人がいて、いろんな夫婦がいて、そして、いろんな家が集まった街ができて行くのだなあとしみじみと思う。
何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、僕は最近いろんな事象の中に人間の多様性を見つけ出すのが楽しくて仕方がない。
人がひとりずつ違うということ、そして、そのひとりひとり違う男や女がそれぞれにパートナーを選んで、ひと組ひと組違うカップルができているなんて、とても素敵なことじゃないかと思うのである。
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