『カデナ』池澤夏樹(書評)
【1月26日特記】 カデナって何だっけ?と暫く考えてから漸く嘉手納という漢字が浮かんできた。沖縄である。基地である。でも自分にはそれくらいの知識しかなかった。
米軍基地移転問題がクローズアップされているこの時期にこの小説が書かれ、発表されたことには恐らく意味がある。意味とは池澤夏樹がこの小説を書こうと思った理由なり動機なりといったものが明確にあったはずだということである。
しかし、それをそのまま平たくあからさまに述べたのでは、それは小説ではない。もちろんこの作家はそういうことを知っている。
読み終えて初めに感じたのは、大変次元の低い感想かもしれないが、まるで本当にあったことのように書いてあるなあということであった。
もちろん、本当にあったことのように書かれているかどうかは小説を語る上で最初に云々することではないし、最終的に評価を決める要素でもない。ただ、本当に作り物感のないストーリーであり人物描写である。本の中で人物がしっかりと立ち上がって自分の頭で考えている感じがする。
舞台は嘉手納の米軍基地とその周辺。時代はベトナム戦争の末期である。
米軍基地の空軍で准将の秘書官を務めるフリーダ=ジェイン。彼女はアメリカとフィリピンの混血である。彼女は米空軍の出撃情報を北ベトナムに流している。
やがて彼女の恋人となるパトリック。爆撃機の優秀なパイロットであったが、ある時から出撃に恐怖感を覚えるようになる。ジェインのやっていることは知らない。
嘉手苅朝栄──もともと沖縄出身の一家であったが移住していたサイパンで第2次世界大戦の終戦を迎え、家族全員を失い、空っぽの心で沖縄に戻ってくる。そして、ジェインからの情報を北ベトナムに送る活動をしている。
さらに、嘉手苅家と家族のように育ってきたタカ。彼はロックバンドでドラムスを叩いていたが、軽い気持ちから米兵の脱走の手助けをし、たまたまではあるがジェインと朝栄の仲立ちの役目も務めるようになる。
主な登場人物は以上である。
ここで描かれている人間たちが魅力的であり、かつ現実感があるのは、彼らが決して崇高な理念だけで動いているのではないということである。彼らは不思議に落ち着いている。もちろん、この小説の中でも崇高な理念に基づいて「反戦平和」を実現しようとする人たちも描かれている。しかし、崇高な理念だけではどうにもならないということも同時に描かれている。
崇高な理念と、やみくもなエネルギーと、そして、それらに加えてどこか冴えた視線というものがあって初めていろんなものが転がって行くということがきっちりと捉えられている気がした。
今年の芥川賞は該当者なしに終わった。その選考委員を務めていたのが池澤夏樹で、「作家が本当にこれが書きたいという愛情が感じられなかった」と発言して候補者であった松尾スズキに噛みつかれたのは記憶に新しい。
あれはどう見ても「口が滑った」としか言いようがないだろう。ただ、彼がそんな風に言っちゃった背景色がこの小説には現れている気がする。
小説のテーマがある種政治的であり、しかし、描き方は必ずしも政治的にはなっていないこのような小説を描いたというところが恐らく池澤夏樹の自負であり、それが口を滑らせたのではないかと思う。
しかし、大事なのは書きたいという気持ちを感じさせるかどうかではない。まず、読んで面白いこと。そして、余韻があること。読者自身に考えさせる余地が充分に残されていて、実際に読者自身に考えさせてしまう力があること。
この小説はそのどれもができていると思う。
そして、この作家も『スティルライフ』で芥川賞を受賞した時にはかなり酷評されていたことを、僕は急に思い出した。
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