『ラブリーボーン』試写会
【1月14日特記】 1/29(金)に全国公開される映画『ラブリーボーン』の試写会に行ってきた。『ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソン監督。
映画は、1973年12月6日に、14歳の少女スージー・サーモン(シアーシャ・ローナン)が、近所に住む変質者(とひとことで言ってしまうのも我ながら如何なもんかとは思うが)ハーヴェイ(スタンリー・トゥッチ)に殺害されるところから始まる。
かと言ってこれは所謂「倒叙法」のミステリではない。
スージーは死後の世界へ行く。死後と言っても、天国ではない。生前の世界と天国との境界にある世界である。スージーの弟のバックリー(クリスチャン・アシュデール)は姉の存在を感じて、"She is in between"という表現をするが、まさにそんな感じ。
よく「臨死体験」として語られるような、光溢れる美しい世界である。死にかけた人間がこの世に戻ってきて自ら語ってこその「臨死体験」であるが、残念ながらスージーは戻ってこない。戻ってこないのに、戻ってきた人から聞いたかの如く描いてしまうところが、映画の映画たる所以である。
ただ、これはあくまで天国への途上、という感じではなく、向こう側に行き切れない、我々仏教徒の感覚からすれば「成仏し切れない」魂の世界である。
とは言え、非常に幻想的で美しい。しかし、この美しさが、僕は少し気に入らない。綺麗に描きすぎていてまるでお伽の国のようであり、如何にも「造形美」という感じがしてしまうのである。ちょっとロード・オブ・ザ・リングが入ってきすぎたのだろうか?
で、そのスージーが何らかの力を発揮して、残された人々を助けて見事に犯人を逮捕しましたとさ、めでたしめでたし──みたいな話かと思ったら、さにあらず。実に却々微妙な映画なのである。
まず、スージーの死後、あまりに落ち込みが激しい母(レイチェル・ワイズ)を助けるため、父(マーク・ウォールバーグ)が自分の母親(スーザン・サランドン)を呼び寄せる。この、スージーにとってのおばあちゃんが、ウィスキーのグラスと煙草は一日中手から離さないし家事はからっきしダメというとんでもない存在で、映画は急にコメディの様相を帯びてくる。
で、ひょっとして、ここからは半ばこういうコメディ・タッチで進むのかと思ったら、そこからまた一転して、何とも言えない厳しい筋運びになってくる。
もう、ここから先は筋を書くわけに行かないので説明しにくいのだが、最後まで見ても、どうも今イチすっきりしないのである。
しかし、このすっきりしなさが、言わば、この作品のテーマなのだろうと思う。人生って、いや、生にしても死にしても、そんなに御しやすいものは人間の世界に与えられていないのである。
僕はアメリカ人がこういう映画を作り始めたことに大きな意義があるような気がする。
かつてのアメリカ映画なら、家族がいて、愛があって、愛があれば困難を乗り越えて正義が勝利した。しかし、ここで描かれているのは勝つとか負けるとかいうことではなく、日々乗り越えて行かなければならない喪失感なのである。
だから、単純なカタルシスがないと満足できない人は、と言うか、映画というものは単純なカタルシスを得るために観るものだと思っている人は、この映画を見ない方が良いかもしれない。逆に言えば、見かけよりもはるかに深い世界である。
映像としては、カットを細かく割りながら、非常に凝ったものを見せてくれる。
主演のシアーシャ・ローナンがかなり注目を浴びているようだが、彼女が比較的直線的な演技しか求められない役どころであったのに対し、残された妹という難しい役どころをこなしたローズ・マックィーバが印象に残った。
なかなか良い映画である。
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