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Monday, January 04, 2010

随想:エスカレータの片側

【1月4日特記】 エスカレータで立ち止まるとき、大阪では左側を、東京では右側を空ける。ところが大阪と東京を行ったり来たりしていると、これが時々混乱してきて、気がつくと反対側に立っているような気がして、慌てて「はて、ここはどこだったか?」と考えてしまう。

しかし、それにしてもどうして大阪と東京ではルールが逆なのか?

──みたいな記事を以前ここに書いたような気がする。

ところが、最近驚くのは、右を空けるか左を空けるかではなく、そもそも片側を空けろなんて誰が決めたんだ?みたいない記述を twitter 上でよく見かけることである。「エスカレータでは立ち止まれ」とちゃんと書いてあるだろ!みたいな指摘もある。

え? 片側を空けるって、もはや不動のルールではなかったのか? 少なくとも僕はそう思い込んでいた。「立ち止まれ」という表示を見た記憶はまるでない。

僕はかなり大きな荷物を持っていない限り、エスカレータや動く歩道では立ち止まらずにスイスイ追い抜いて行くほうである。だから、一人反対側に立ちふさがっている人がいたりすると、確かにいらいらしてた。

「立ち止まれ」派が言うのは、無理な追い抜きをされると危ないということだ。これも確かに一理ある。だから僕は中途半端に真ん中辺に立っている人がいたり、端に寄っていても大きな荷物が中央まで張り出している人がいる場合はやむなく追い抜きを断念していた。

そうやって断念すると危なくはないのだが、無理やり追い抜く、どころか、脇に追いやり押しつけながら追い抜いて行く人もいて、そういう人が出てくると確かに危ない。

しかし、追い抜いて行く人からすると、「こいつらルールも知らんのか!」と頭に来ているわけで、まあ、頭に来ていれば暴力的に押しやっても良いかという問題はあるものの、要するに最大の問題点はそれがルールなのかどうなのか、ということである。

そう考えると途端に分からなくなる。

もちろん法律では定められていない──片側を空けろとも、立ち止まれとも。しかし、法律だけがルールではない。慣習とか、社会通念とか、ま、なんか、そういうのだ。

じゃあ、そういうのって、誰が決めるのか? 小さいときには親や先生がすべてを決めてくれた。大人になるとそうは行かない。じゃあ、誰が決めるのか? 社会が決める? 社会って誰?

やっぱり分からない。

ルールというものはたとえ少々理不尽なところがあっても、それ自体で自己撞着を起こしてさえいなければ、みんながそれを完璧に守れば大体無事に収まるものである。

例えば僕は大阪では左側を、東京では右側を追い抜いて行く。だが、逆に立ち止まる場合、例えば夫婦で出かけたときなどは追い抜く人のために必ず縦に並んで片側を空けるようにしている(だから横に並んでいるカップルを見ると腹が立つ)。

こういう風にルールを徹底しているとさほど問題は起こらない。関東と関西で逆であっても、どこかにしっかり境界線を引いておけばルールとしては万全である。

だが、一方で「エスカレータでは歩かないで立ち止まる」というルールが(いつからあるのか知らないが)どうやら厳然とあるらしいことが、この問題をややこしくしている。

一体どっちがルールなのか? そしてそれはいつ誰が決めた(決める)のか?

一番の問題は片側を空けるとか逆に立ち止まるとかが確固たるルールであるとお互い頑強に思い込んでいて譲らないことである。

こういうケースでは一旦ルールはないと考え直した方が良いのかもしれない。いや、「危ないことをしない」「他人を思いやる」という抽象概念だけがルールなのかもしれない。

そうなると頼れるのは自分の良識だけだ。暮らして行くことってなかなか厳しいゲームなのかもしれない。良識の集積は必ずしも単一のルールには到達しないからある。

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Comments

昭和30年ごろ、私が親に連れていってもらっていたデパートは渋谷の東横百貨店。エスカレーターはあったと思うが、上りだけ。左右のルールはなかった。なぜなら、人ひとりの幅しかなかったから。今よりずっと緊張した顔で乗る人が多かった。
昭和45年、千里の万国博。「左側を歩いてください」とのアナウンスを憶えている。右にいる人は周りを見物しながら立っていた。その数年前に、阪急梅田駅に開通した「動く歩道」、歩道だからほとんどの人は、右も左も関係なく歩いていた。
鉄道の駅構内は基本的に左側通行。戦前からの、あるいは江戸時代以来の常識。関西人の「常態」は動く事、東京人の常態はのんびり立っている事。で、関西では左側を歩き、関東では左は立ったまま到達を待つ。
つまり、エスカレーターを歩いてのぼるのが常識のイラチの関西人と、せっかく機械が運んでくれるのだから体力を消費する必要はないと考える、のんびりした関東人とが、左右の文化の違いを生んだ、という私論です。
関西生まれ、東京で思春期の前半を過ごしたバイリンガル(東京弁と関西弁)の老人の述懐。新幹線で新大阪に着くたび、新横浜に帰り着くたびに切り替えができるようになりました。実は、昔からこの件について、一度書いてみたかった!

Posted by: hikomal | Wednesday, January 06, 2010 at 23:08

> hikomal さん
なるほど。「常態」ですか。なんとなく説得力があるような(ないような…)。ありがとうございました。
しかし、不思議なことに新大阪駅のホームから改札階への下りエスカレータでは右を空けるんですよね。あそこまでは東京圏、ということなんでしょうか。最近あまり新幹線には乗っていませんが、いつも不思議に思っていました。
ところで「立ち止まれ」説はお聞きになったことがありますか?

Posted by: yama_eigh | Wednesday, January 06, 2010 at 23:48

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