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Tuesday, October 13, 2009

弱さの淵源

【10月13日特記】 最近の若い奴は本当に弱いなあと思う。

そんなことを書くと、「あのやまえーが、いつからそんな偉そうなことを言うようになったんだ?」と先輩諸氏から嗤われるのかもしれないが、しかし、今の若い社員たちを見ると、あの頃の弱っちい僕の 1,024 倍は弱いように思う。

そう、僕も確かに弱っちい新入社員だった。何年か経った後でも同じく弱っちい若手社員だった。精神的に潰れてしまうかどうかの瀬戸際のところで生きていたと思う(そして、幸いにも潰れずに済んだ、と自分では思っている)。

今の若い人たちは本当に「晒され」たり「阻まれ」たりすることに慣れていない。ちょっと攻撃を受けたり壁にぶつかったりすると突然会社に出て来なくなったりするから怖いのである。

それを考えると毎朝毎朝吐き気をこらえながら出社していた自分が愛おしくさえなってくる。

でも、いろいろ考えてみると、それは個人の資質だけの問題ではないのかもしれないという気がしてきた。

今の若い子たちが弱いのは多分ずっと守られて育ったから、攻撃を受けることに慣れていないからだと思う。

僕らの世代はいろんな攻撃にさらされて生きてきた。いじめられて生きてきた。そして、今と最も違うのは、あるいは今の若い人たちの子供時代と決定的に違うのは、僕らの時代のいじめにはどこか節度があったということ(これはよく言われていることだ)と、攻守所を変えていじめる側といじめられる側が入れ替わるということが頻繁に起きたということだ。

いつまでも同じことで同じ人間をいじめ続けることはなく、ある時は頭の悪い子が、ある時は運動神経の鈍い子が、ある時は貧乏な子が(そう、あの頃はまだ貧富の差がはっきりと目に見えた)いじめられる──そんな日替わりの毎日だった。

昨日はちょっと偉そうなことを言った奴が仲間外れにされ、今日は良い子ぶって先生に告げ口した奴が虐げられ、明日はただデブだとかチビだとかそんな理由で傷つけられる。明後日は明後日で、いじめられるのは気の弱い奴だったり、お調子者だったりするのである。

だから僕らは大抵いじめる側といじめられる側の両方を経験した。子供は残酷なものなので平気で仲間を深く傷つけたし、逆に誰かの言葉や行いに深く傷ついた。大抵はその両方を経験したのだ。そして、川の両岸から眺めることによって、自分を客体化し、立ち直るすべを覚えた。

今の若い人たちの子供時代は、いじめはもっと執拗で、多分固定的なものだったはずだ。だから一度いじめられる側に回ると容易には抜け出せない。だから、何が何でもいじめられる側に回る訳には行かなかったのではないか?

だから徹底的に守られて育った。ほとんどの生徒は傷を受ける側に立つことなく育ってしまった。それでこんな弱っちい大人ばかりができてきたのではないか?

──なんか急にそんな気がしてきたのである。

はっきりした根拠があった上での深い分析によるのではない。単なる直感的な推測である。

でも、もしそうだとしたら、どうしたら良いのだろう。今からでも徹底的に傷つけてやるべきなんだろうか?

そう、僕も少年時代は傷つけたり傷つけられたりで少しは強くなっていたはずだったのだが、会社に入ったら今度は今まで経験したこともなかった別種の攻撃や壁に晒され阻まれて再び壊れそうになったのだ。でも、最終的にはそこから浮上してきた。

ならば彼らにも同じ思いをさせてやるべきなんだろうか。その時彼らは、あの時の僕のように、幸いにも壊れてしまわずに起き上って来るのだろうか?

そこのところがよく見えない。

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