映画『カムイ外伝』
【9月23日特記】 映画『カムイ外伝』を観てきた。いや、原作はろくに読んでいない。ただ、崔洋一(監督、脚本)=宮藤官九郎(脚本)=松山ケンイチ(主演)という組合せに惹かれて・・・。
端的に言って、これは「映像詩」である。良く撮れている。
VFX は、多分ある程度わざとなんだろうけど、やや作りもの感が強くて、「おいおい、それじゃまるで Google Earth だ」みたいな動きもある。しかし、映像としては非常に美しい。
VFX やらワイヤ・アクションやらで、「いくら忍者でも、そんなには飛べんでしょ」みたいな突っ込みどころも満載ではあるが、画の流れとしてはこれも非常に綺麗だ。リアルであることよりも美的であることを選んでいる。
そして、殺陣では激しい動きを結構長廻しで押さえていたりして、如何にも大変だったろうなという印象がある。人がよく動いて見事なアクション映画になっている。
しかし、「映像詩」の部分が少し前に出過ぎていて、ストーリーを追って観ているとこれはどうなんだろ、という思いがないでもない。
喩えて言うなら、小説だと思って買った本がページを開いてみると詩集だった、みたいながっかり感である。詩集自体は名作なんだけど・・・、みたいな。
カムイ(松山ケンイチ)が「抜け忍」になるまでの話を冒頭の簡単な「紙芝居」で済ませている。まあ、これはこれで良いだろう。何よりもこれは『カムイ伝』ではなく『カムイ外伝』なのだし、だいいちその前段を一から描いていては時間が尽きてしまう。
ただ、ろくに読んでいないとはいえ、世代的に僕はカムイを知っている。そうではない若い世代にとってはどうだったんだろ? 「カムイって何者?」みたいな感じで観に来た人たちに対してもあの程度の説明で良かったんだろうか?
「俺は生きる」と強く言ってきたカムイが、スガル(小雪)に対しては「俺は動かぬ。殺せ」と簡単に自分を投げ出してしまう──この辺りがカムイならではの虚無感、という風に僕は受け取ったのだが、予備知識なく観た人は少し首をひねったのではないだろうか?
追忍が抜け忍を見つけた場合、見つけた瞬間に殺さない理由はないのに、なんでこんな手の込んだことするんだろ?という疑問も残る。
ただ、まあ、面白いのは面白い。小林薫の半兵衛、佐藤浩市の藩主、伊藤英明の不動ら、いずれも嵌り役の名演である。そして、大後寿々花が良かった。あと、土屋アンナはだんだん"怪優"になってきたねえ。
でも、これじゃあ、なんだかマカロニ・ウェスタンみたいな痛快西部劇(時代劇)で終わってないかい? そんなものと比べるのが適当かどうかは判らないが、中村敦夫の『木枯らし紋次郎』を初めて見た時ほどの衝撃はないんだよね。
いや、そもそも単純に痛快アクションを撮るのが目的だったのか? 僕にはちょっと崔監督の肚の内が見えない。
「撮影」で江崎朋生、藤澤順一の2人の名前がクレジットされていて、さらに「京都・兵庫・滋賀ロケーション」の「撮影」として浜田毅の名前がある。こういうところが凄いなあと思った。
カムイの世界観は充分に伝わったかどうか判らない。ただ、完成度の高い映像作品であることは認める。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。


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