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Sunday, August 23, 2009

『骸骨ビルの庭』宮本輝(書評)

【8月23日特記】 調べてみたら多分18年ぶりに読む宮本輝だった。昔はよく読んだなあ。村上龍、村上春樹らとほぼ同じ頃に出て、彼らより年長ではあったが、一時期はやっぱり彼らと同じようなスター作家だった。

とても直木賞っぽい感じがするのだが、実は芥川賞作家である。彼の若い頃の作品はもっと若かった僕の心に良く響いた。だから立て続けに読んだ。ところが何と言うか、次第にその直木賞っぽい感じが肌に合わなくなってきていつしか全く読まなくなった。

今回は本屋で平積みになったこの本に呼び止められたような気がして久しぶりに手に取ってみた。舞台となっている大阪・十三が、僕が高校時代の3年間を過ごした街だったということもあって、久しぶりに親近感が湧いた。

そう、こんな感じの作家だった。結構ベタっとしたことをケロッと描いて見せる作家だった。

主人公の八木沢省三郎(47歳)は十三の通称「骸骨ビル」の住民に円満に出て行ってもらっうために東京の不動産管理会社から派遣されてきて暫くそこに住みつくことになる。なんでも省略する住民たちによって彼はずぐに「ヤギショウはん」と呼ばれるようになる。

居座っているのはプロの「占有屋」なんかではない。もともとは、今は亡き阿部轍正と、彼の親友でいまだにここに住んでいる茂木泰造が身寄りのない大勢の戦災孤児たちを引き取って育てた場所だ。その孤児たちのうちの何人かもまた、それぞれが怪しげな事務所などを構えて、いまだにここに居座っている。

八木はひとりひとりから話は聞くが立ち退き交渉はしない。この辺の展開がいかにも宮本輝という感じがする。八木の眼から見た大阪や大阪人の不思議が巧みに描かれているのだが、これは宮本が大阪出身だからこそできた芸当だろう。

いきなりヤクザ(?)に脅されたり、長年腹を割って話せなかった息子との交流があったり、料理や野菜栽培などの愉しさを知って精神的に解放されて行くヤギショウが描かれる。

そして、最後まで読んだ時に、そうそう、こういう終わり方を書く作家だったよなあ、宮本輝って、とつくづく思った。

読者がそれで終わられては困るような終わりかたをするのである。読者はいつまでも考えてしまう。あれはああいうことだったんだろうか? こういう風に解釈して良いんだろうか? あのあと彼らはどうなったんだろうか?

──歳を重ねるにつれて少しずつ説教臭さが強くなってきた作家だと思うのだが、余韻を持ってその説教を打切ることによって説教臭くなくして、それゆえに読者の心の中に疑問形のまま長らく留まらせる──そんな技量を持った作家である。

宮本輝らしい良い作品だった。この宮本輝らしさを何と表現すれば良いのかは分からないが、帯の宣伝文句は少しテキトーなことを書きすぎのような気がする。

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