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Thursday, August 27, 2009

密約問題から日本人を考える。

【8月27日特記】 日本の外務省元高官だけではなく、米国の元大使秘書官からも「核持ち込み密約があった」との証言が出てきました。米国で一旦は公開された外交文書のコピーもあるとのことなので、日本政府としてももうこれ以上はしらを切れないところに来ているのではないでしょうか。

まあ、まだ確定した訳ではないので断定的に書いてしまうと怒る人もいるかもしれませんので、ここではあくまで密約があったという仮定のもとで話をするだけだと断っておきますが、仮に密約があったのが事実であるとすると、それを巡って「あった」「いや、なかった」の問答になっているのは日本人(あるいは日本政府)に2つの考え方があるからだと思います。

【a】 国民に対して嘘をついてはいけない。事実は開示すべきである。
【b】 政府が国民を騙していたとなると統治のシステムが揺らぐことになる。密約の是非がどうであれ、ここは何が何でも「密約はなかった」で押し通すべきである。

もう少し細かく分類すると、【a】は2つに分かれます。

【a-1】 そもそも政府は密約などを交わしてはいけない。しかし、交してしまったものは仕方がない。少なくとも交してしまったという事実は国民に対して開示しなければならない。
【a-2】 外交においては当面は国民に伏せたまま密約を交わすのがやむを得ないケースもあるだろう。ただし、一定の期間を過ぎた後は全ての情報を公開すべきである。

もちろん、【b】においても密約という手法を認めるか否かで【a】と同様に2つに分けることは可能ではあります。しかし、「密約を交わすことは悪であるが国民を欺くことは方便として許される」と言うのはいくらなんでも破綻しています。【b】の立場を採るのであれば事実上密約という手法を認めていると言って良いのではないでしょうか?

【b】は要するに、外国政府に対する場合と自国の国民に対する場合で、ダブルスタンダードを容認するという立場なのです。すごく日本人的・伝統的な、「嫌な部分」だと思います。

そういう意味では【a-2】もまた一時的なダブルスタンダードを認める立場です。でも、【a-2】の場合は未来永劫許されるものではなく、どこかの時点で必ずギャップを解消しなければならないという縛りがあります。

私は明確に【a-2】の考え方を支持します(念のために書いておきますが、これは「いつなんどきでも密約OK」という考え方ではありません)。

さて、仮に密約があったということがはっきりと証明されたとしましょう。

【a-1】の場合は密約という行為自体を認めないので、証拠が出た時点で即刻、当時の担当の政治家や官僚は追及され断罪されることになります。

【a-2】の場合は、証拠が出たのであれば速やかに開示するというだけのことです。もちろん【a-2】の立場を採っていても、その密約を結んだことが適切だったのかどうかについては改めて吟味することにはなります。ただ、密約それ自体がダメだということにはなりません。

そして、もしも政府が【b】の立場を採り続けて、挙句に密約の証拠が出てきた場合には、当時の担当よりもまず現在の政府が国民を騙したという廉で国民からの制裁を受けることになるでしょう。

国民を舐めてはいけません。「私はお国のためにやっただけなのに…」なんて言い訳はもう通用しません。そういう時代ではないのです。

システムの維持が全てに優先する、旧き悪しき日本人からはいい加減脱したいと私は思うのです。

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