『六月の夜と昼のあわいに』恩田陸(書評)
【7月22日特記】 短編小説集というものは、書くほうにしても読むほうにしても、これは却々厄介な代物なのである。書く者にも長編とは異なる「書く技術」が要求されるのだろうが、読む側にしても短い分量の中から何かを読み取る瞬発力が試されることになる。
この10篇の小説をいずれも幻想的な作品と総括してしまうのは簡単だが、僕はこれらを端(はな)から幻想的なものを目指して書かれた小説ではなく、結果として幻想的に仕上がった小説だと読み取った。
普段は巧緻なミステリや精緻なファンタジーを描いている作家が、ミステリやファンタジーに特有の、あるいは長編では避けて通れない制約や常套からぬるりと滑り落ちるようにして書いている感じがする。
あたかも酔っぱらいの語り口が「あらぬ方」に飛んで行くように、まるで自由奔放な筋運びに作者自身が遊びながら、にやりとほくそ笑んで書いているさまが目に浮かんでくるのである。
そして、この短編集がそれぞれの作品の冒頭に掲げられたフランス文学者の詩歌と新鋭画家の絵にインスパイアされて書かれたものだと知って、「なるほど、だからこんな感じに仕上がったのか!」となおさら納得してしまった。
そういう刺激の表れが、例えばタイトルになった「あわい」という語の選択であったりするのだろう。あくまで「夜と昼のあわい」であって「昼と夜のあわい」ではないところもミソだろう。
「なんだかよく解らないままに終わってしまう小説」と言ってしまえば確かにそう言えそうな作品もいくつかある。「そういうほどけ方が楽しいのだ」と言えばそうとも言える。そんな中で割合この作者らしい結び目をしっかりと見せた作品が例えば「Y字路の事件」であり「酒肆ローレライ」である。
そして、そこからもう少しほどけたのが「夜を遡る」や「翳りゆく部屋」である。この辺の「抜け具合」がものすごく心地良く思えるのは僕だけではないのではないだろうか。
いつもその筆力に驚かされる恩田陸だが、今回は彼女ではなく、彼女が握った筆が勝手に走って書いたような印象さえある。
読み終えてちょっと嘆息。
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