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Sunday, June 28, 2009

Michael Jackson についてもう少し思うこと

【6月28日特記】 久々にテレビや新聞が特集を組むような訃報になった。しかも、当日ではなく、日を改めて。そして、ウェブ上にも記事が溢れかえっている。

──自分の思い入れはともかく、他の人にとってもこれだけ大きな存在だったのだと改めて思い知った。

昨夜、いつも使っているダウンロード・サイト mora に(他の曲を落とすために)行ってみたら、ダウンロード・ランキングの1位から20位まで全部マイケルの曲だったのでびっくりした(僕は D/L しなかったけど)。

しかし、その一方で「ちゃんと聴いたこともないし、興味もない」という若い世代の声も新聞記事になっていて、なるほどなあと思う。

確かに僕も美空ひばりや石原裕次郎の訃報にうなだれる先輩たちを見て「なんなんだろ、これは」と訝った記憶がある。僕らの世代にとっては美空ひばりの死も石原裕次郎の死も、近所のおっさんやおばはんの死と何等変わるところはなかった。

「特別な記憶」になっているかいないか、広い意味での「青春」の一部になっているかいないかがカギなのである。そしてそれは全盛期を知っているかどうかということとも密接に繋がっている。レパートリーを何曲か知っているだけではそこには到達しない。

だから、マイケルも、もし90歳まで生きて死んだのであれば、こんなには騒がれなかっただろう。リアルタイムの記憶を持っている人たちが多く死んだ後だろうから。

僕はそんなに熱狂的なファンではなかった。でも『スリラー』は買った。ムーン・ウォークも独りっきりの時にちょっとだけ真似してみた(が、当然真似できなかった)。みんなそうだった。『ひょうきん族』まで『スリラー』のパロディをやっていた。

USA for Africa には心の底から拍手を送った。後楽園球場にも行った。

そう言えば、あの日の後楽園球場では3列目に僕らがいて、2列前の最前線に男闘呼組の4人が座っていた。

マイケルが歌の途中でリズムもメロディもブレイクして、うずくまった姿勢のまま動かなくなった(もちろんそういう演出である)時に、前田耕陽が「マイケル、大丈夫か」と叫んだのを今でもよく憶えている。

そんなあたりが僕にとってのマイケルの特別な記憶である。

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