『もしもし、運命の人ですか。』穂村弘(書評)
【5月15日特記】 穂村弘という人のことは実は前々から気になっていた。
とは言え、この人は歌人である。ということはその作品は歌集である。
俵万智とか林あまりとか、まあ、長い人生、買った歌集も何冊かはあるが、さりとてそんなに手当たり次第に買ってみる類の書物ではないしなあ…。
などと、思っていたら、この本に出会った。本屋で見つけて(そう、今回は bk1 で買ったのではない)適当にパッとめくったら、いきなりこんな文章に出くわした。
初めて女性をホテルに誘おうとするとき、緊張する。(「性的合意点」の冒頭、p36)
なんだ、この素直と言うか、直截と言うか(笑)
やっぱり思ってた通りの人である。──という訳でレジに持って行った。
愛の文集である。それももっぱら性愛の──。しかも、笑える。
どう考えてもネタっぽい話の連続なのだが、まあ、確かにネタっぽく語ってはいるが、世に言うネタではないと思う。
作った話でも誇張した話でもない。ただ、多分に自分を戯画化した話ではある。彼のこの一貫した態度があるからこの本はこんなに面白いのである。
しかし、よくもまあ40歳過ぎて、こんな中学生みたいなドキドキ・ハラハラ感を女性に対して持ち続けられるもんだと半ばあきれながら、実は読んでいる僕と非常に近い面があり、分析も深く表現も巧みなので、読めば読むほど笑って感心して親近感を深めるのである。
で、その、僕と近い面とは如何なる面かと言うと、それはひとことで言える──自意識過剰である。
それを著者は恥じたりはしない。もし、そのことに引け目を感じているとしたら、それは「自意識過剰だと女性にもてないのではないか?」と感じたときだけである。
この本の中にも似たようなことが書いてあるのだが、自意識過剰こそがむしろ愛の源泉なのである。
それにしても、彼女から「このフタ、固いの。開けてくれる?」と頼まれたときに「彼女の握力<私の握力<フタの固さ」だったらどうしようかと考えてさっと緊張する(「男子力と女子力」、pp133-134)なんて状況描写と考察はどこから出てくるのか、そして、なんと適切で面白い例だろう!
さすがに短詩の作家だけあって、それぞれの文章の締めの1行には得も言われぬ切れ味がある。バカばっかり書いてあるからと言ってバカにしてはいけない。案外恋愛の神髄とはこういうところにあるものなのである。
Comments