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Friday, May 15, 2009

ブログの記事は書き換えられる

【5月15日特記】 気づいている人はあまりいないと思うが、僕のブログの記事は部分的にちょこちょこ書き変わっている。

一旦上げてしまってから、例えば入浴中にだったり通勤途上の駅でだったりするのだが、突然「あ、あそこはこう書くべきだった」「あれを書いておくのを忘れた」などと思い当たることがあり、そうなるともう書き換えずにいられないのである。

ホームページに載せている記事のほうは大抵2ヶ月くらいは寝かせた文章なので、それほど頻繁にそういうことは起こらない。「寝かせる」と言うのはもちろん、書き上げてから何もせずに放っておくという意味ではない。

書き上げてから暫く時間を置いて見直して──を繰り返している、という意味である。だから、ある程度文章が熟成している。

ところが、ブログに載せる文章は大抵書いてその日のうちにアップする。もちろんアップするまでに数回は見直して書き直して、さらに大抵はアップした直後にもう1~2回は見直して書き直してはいるのだが、それでも日を置かない限りは出て来ない表現というものがある。

だから、アップした翌日に、3日後に、1週間後に「ああ、なんかしっくりこない表現だと思いながらそのままにしていたが、あそこで使うべき表現はこれだったんだ」と突然思い浮かぶことがあって、そういうことがあると大体すぐに書き換えている。

「一旦発表してしまったものを安易に書き換えるのは如何なものか?」という考え方もあるかもしれない。さすがに僕も文章の趣旨が大きく変わる場合、つまり、最初は「賛成だ」と書いていたものが書き直した結果「反対だ」に変わるような場合は新たに記事を起こす。

しかし、そうではなく全体としての趣旨に変わりがないのであれば、僕は迷うことなく書き換える。

書き換える前に読んでくれた読者に対して失礼あるいは不親切であるとは思わない、と言うか、失礼あるいは不親切な場合もあろうが、まあ許してよ、と思う。

こういうことができるところがインターネットの醍醐味だと思うから。出版された書籍だったらいくら書き換えたくてもこんな風に気軽にはできないのだから。

それにこれは僕のブログである。もちろん他の方々に読んでいただくものであることは充分認識しているし感謝もしているが、コメントやTBのために軒を貸すことはあっても基本的に僕の私物であると思っている。だから、気軽に変えて良いのだ、と割り切っている。

それと、読み手というのは書き手が思っているほど表現に神経質でない場合が多いし、同じ書き手であっても僕が拘るように細部やニュアンスに拘る人もそれほど多くないと思う。

だから、アップした後に書き換えても事実上ほとんど影響はないと踏んでいる。

ただし、僕が書き換える前にその個別の表現に言及したコメントやTBを付けられてしまうと、さすがにこれは書き換える訳には行かない。そういう場合は不本意ながら、元の表現はそのままにした上で新しく記事やセルフ・コメントを起こすしかないのである。

それを考えるとますます、そういうことが起こらないうちに先に書き換えようという思いが強くなる。大げさに言うと神経が張り詰めることになる。

それで余計に訂正すべき箇所・書き換えるべき表現が頭に浮かぶことになって、僕のブログは頻繁に書き換えられるのであった。

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