『ディスコ探偵水曜日』舞城王太郎(書評)
【4月21日特記】 いつもは月に3~4冊のペースで読んでいるのに、なんとこの本2冊にほぼ2ヶ月かかってしまった。
僕にとっては4作目の舞城王太郎なのだが、そもそもこういうジャンル(というもの自体が成立しているのかどうかさえ知らないが)を僕が読みつけていないということもあってか、本当にしんどい読書だった。
でも、そんなしんどい目をしてまで読む値打ちがあったかと言えば答えは Yes である。恐らくこういう小説に慣れた読者の半分も読み取れていないだろうとは思いながら──。
ともかくいつも通りの破天荒な設定で、主人公は迷子捜し専門のアメリカ人探偵ディスコ・ウェンズデイで、ウェンズデイの綴りは Wednesday ではなくて Wednesdayyy で、踊場水太郎という日本名の別名まで持っている。
そして、今は自分が見つけ出して事件は解決したけれど結局親に見捨てられて行くところがなくなった梢という少女と暮らしている。
ある日寝ていた梢が痛がるので見てみたら梢の体が大きくなっていて、中にはどうやら17歳になった梢がいる──とまあ、こんな具合である。
で、そのあといろいろあって、ディスコは水星Cなる粗暴な人物と福井県の山中にある通称パインハウスに行く。
そのパインハウスに、そこで殺されたミステリー作家暗病院終了の謎を解くために十何人の名探偵たちが集まって来て、順番に推理を披露するのだが、その推理に間違いがあると判るとそれぞれが自分で目を刺して死んで行く。
──もう、その辺りから読んでいてしんどいのなんの。
慣れの問題かもしれないけど、名探偵たちの言っていることが複雑すぎて単純に頭に入らない。でも、これを俺は解らなきゃいけないんだろうか?と半信半疑で読み進んで行くと、いよいよ真打ちとしてディスコが推理を披露するのだけれど、これが、おいおい、そんなとこ行っちゃうのかよ、と呆れ返るような内容だった。
でも、考えてみればこの手の小説って、いかに科学的・論理的であるかを競うタイプのものもあれば、いかに超常的・超科学的であるかを誇るものもあって、そうか、この小説は単に後者のタイプだったのだと勝手に納得して読み進めると、そこからぐっと面白くなった。
で、上巻の終わりまで読むと、途中本当になんだかよく解らなかったのに、構成/ストーリーとしてはストンと腑に落ちる感じがあって、しかもこの爽やかな読後感、そして人生を肯定的に捉える力は何なんだ、と驚いてしまう。
そして、小説としてはここで終わってしまっても何の問題もないのに、まだ下巻の450ページが続いていて、やっぱり途中読みながら眠りこけそうになるパートがあって、やっぱり一知半解のままなのだが、でも、ちゃんと最後まで読ませる力、そしてその希望に満ちた人生観を読者がしっかり受け取ってしまうこの小説にただただ舌を巻くだけなのである。
はっきり言ってよく解らん。でも、「舞城史上最多の謎と最大のスケールで描く最高傑作」という帯の宣伝文句にふむふむとうなずいてしまうのであった。
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