考察:整理法
【4月11日特記】 世の中には整理法を指南した書物があまた刊行されているが、僕はそのいずれにも興味がない。
僕を知っている人は、「どうせお前は普段から整理ができているからそんなもの読む必要がないって言うんだろ」と嫌な顔をするかもしれないが、そこまで意地の悪いことを言うつもりはない。ただ、不思議だな、と思う。
整理という一連の作業の中で一番楽しいのは「さて、これはどういう風に整理しようか」と考える工程である。その一番楽しい工程を他人の言う通りに従って果たしてそれが面白いんだろうか?
面白くなければ成果も上がるまい。
また、整理をめぐる生理的な感覚も人によってかなり異なる。ある人にとってそこそこ整理された状態が他の人にとっては全くの混沌に見えるというようなことも珍しくはない。
人にはそれぞれ「整理をやり終えた状態のイメージ」というものがあり、そのイメージは人によって天と地ほどの隔たりがある。
また、整理法についても、それぞれの人の性分に合っているかいないかという問題がある。『○○超整理法』などという類の本を書く人はそういうことを解っていないのだろうか?
自分がこれで巧く整理できたから、この方法が万人(いや、少なくとも多くの他の人々)にとっても有効な方法だ、などという脳天気な発想に取りつかれているのだろうか? それが不思議で仕方がない。
僕は他人から整理法を学ぼうという気もないし、自分の整理法を親切に他人に教えてあげようという気もない。他人の方法は僕には合わないだろうし、僕のやり方では君の机はなお荒れ果てるばかりかもしれない。
もちろん、僕とて会社で他の人の整理法を横目で見て「なるほどそれは良い考えだ」と採用した整理方法がないではない。だが、わざわざ他人の書いた本を読もうとか他人の教えを乞おうという気はない。
それは往々にして時間の無駄だし、何よりも整理の醍醐味を棄てることになってしまう。
ほんのちょっとだけ例を挙げてみよう。
会社である人が「整理のコツが解った。いっぺんに全部分類整理しようとするから無理が出るのであって、その日に整理できなかったものは散らかしたままにするのではなく『取りあえず』の箱に入れておいて、翌日以降分類すれば良いのである」としたり顔で語っているのを聞いたことがある。
ま、一応、「ふーん」ていう感じで聞いていた。なるほど彼にとってはそれが極意なのか。
でも、そんなことをしたら『とりあえず』箱ばかりが溢れ返らんばかりに一杯になって収拾がつかなくなる人がきっといるんだろうなあと思った。そして、逆に僕にとっては『とりあえず』箱なんて余計な中2階的存在でしかない。
僕には既に分類整理されたものとまだ分類整理されていないものがあるだけである。
未区分のものはまだ案件が進行中で頻繁に取り出して読み返す必要があるので敢えて手許において分類整理していないか、あるいは当面は手許においておく必要があるが最終的に保存する必要がないことが分かっているので区分していないかのいずれかである。
そのどちらにも属さないものは分類整理する。なぜ『とりあえず』などという定義しにくい分類を必要とするのかが理解できない。外から見て『とりあえず』の中に何が入っているのか想像がつかないのが決定的な欠陥である。
で、これが僕が自ら整理好きであると言う所以なのだが、未区分のファイルを僕はものすごく頻繁にチェックする。
まあ、人によって性に合った整理法があると書いたばかりなので、これ以上事細かに僕自身の整理方法を披露するのはやめておく。
ただ、整理するのは楽しい作業だし、分けてもどういう風に整理しようかと考えるのが一番楽しい。その方法を見直すのもさらに楽しい。結果として以前より合理的に整理されたという実感がさらなる整理法の研究へと繋がる。
他人の本を読むなんて、そんなもったいないことは決してしないのである。
しかし、だからと言って、「君もこうすれば?」なんて言う気はない。僕は『○○超整理法』の類は読まない。しかし、君にはそれがバイブルになるのかもしれない。僕には全く理解できないのだけれど。
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