映画『グラン・トリノ』
【4月25日特記】 映画『グラン・トリノ』を観てきた。4月も下旬にして今年初めての外国映画である。が、別にとりわけこの作品に惹かれてということではない。たまたまペア鑑賞券が当たったのである。
しかし、そうなるとそれはそれで面倒くさい。何故なら招待券を持っていると座席をネットで予約できないからだ。だったらちゃんと金払った方がましか?という気にさえなる。タダ券を持っていても座席予約できるシステムが早くできないものかと思う。
さて、何の予備知識もなく観に行ったのだが、本当に見事な脚本だった。
自動車に疎い僕はグラン・トリノが何であるかさえ知らなかったのだが、これはフォードのヴィンテージ・カーの名前らしい。
主人公のウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)はその73年型を持っている。車庫に入れてあって時々磨いているが普段は乗っていない。フォード社に勤めていたウォルトが実際製造の一部を担っていたという、そんなプライドの逸品であった。
そして、その車が映画のタイトルであり、主人公のアメリカ魂(とでも言うべきもの)の象徴となっているのである。
冒頭はそのウォルトの妻の葬儀である。そして教会での葬儀のシーンと、その後参列者が家で会食するシーンとでウォルトの人となりが語り尽くされる。非常に無駄のない脚本だ。
ひとことで言って、古いタイプの誇り高きアメリカ人である。そして偏狭な老人である。
自分の息子や孫まで含めて若い世代の人間に呪いにも似た嫌悪感を抱いている。人種差別主義者で、ヒスパニックであれアジア系であれアフリカ系であれ、白人以外の全てを蔑んでいる。
とは言え、所謂 WASP ではなく、名前から判るように自身はスラブ系(ポーランド)であり、映画の中でイタリア系の床屋との間で人種差別ジョークを応酬するシーンがあるのだが、これが爆笑もので一種の救いになっている。
朝鮮戦争の経験者で、その戦争で罪もない朝鮮の若者を殺したことがトラウマになっている。誰彼構わず(妻が通っていたカソリックの若い神父に対しても)口汚く揶揄し罵倒し、何かあるとショットガンを持ちだす物騒な男でもある。
ところが、そんなプライドの高い彼が住んでいる地域は、自動車メーカーの衰退とともに白人がどんどん逃げ出し、今では有色人種ばかりが住んでいる。彼はそんなところに星条旗を掲げて暮らしているのである。
そして、その隣家にモン族の一家が住みついている。元々はラオス辺りにいた山岳民族である。詳しくは書かないがベトナム戦争のあおりを食ってアメリカに逃げ出してきた人たちである。
映画の前半はウォルトと、このモン族の一家、とりわけ2人の子供たち、姉のスー・ロー(アーニー・ハー)と弟のタオ・ロー(ビー・バン)との不思議な交流が描かれる。頑迷で人間嫌いなはずのウォルトが何故だか彼らと心を通わせ始めるのである。
この2人の俳優をはじめ、タオを悪の道に引きずり込もうとしてウォルトに阻まれる従兄弟の一味や、この家に集まる親戚や友だちまで含めて、映画に出てくるモン族は全て本物のモン族なのだそうである。だから、演技経験のない役者も多いのだが、皆良い味を出している。
そして、映画の後半はロー一家(及びそれに加担するウォルト)と従兄弟一味の対立が縦軸になるのだが、これは全くの西部劇であった。いや、ジョン・ウェインらの西部劇ではなくクリント・イーストウッドが昔出ていたマカロニ・ウェスタンの手法である。
派手なガン捌きの決闘シーンが続くというわけではない。ただ、主人公を心理的に追い詰めて行く、そのストーリー展開がまさにマカロニ・ウェスタンの手法なのである。
もちろん舞台は現代のアメリカである。銃社会であるとは言え、決してマカロニ・ウェスタンみたいな形には至らないところがこの映画のミソであり、それこそがこの脚本の冴えであると言って良いのではないだろうか。
しかし、『ダーティー・ハリー』という超目玉代表作があるというのは非常に有利だなと思った。彼が Go ahead! と言うのを聞くと、誰もがその後に続くはずの Make my day. という名台詞を思い出すはずだ。
この映画の終盤で、ウォルトはまさに銃で武装したローの従兄弟一味に対峙して静かに Go ahead! と言う。しかし、その後に Make my day. とは続かない。──これは狙って置いた台詞なのだろうか。
テーマのしっかりした良い映画だった。ハリウッドにもまだこういう映画を作ろうとする人たちがいるんだ、と少し驚いた。
映画の中で何度か出てきた、ウォルトが狭い庭を手動の芝刈り機を持って歩くシーンが妙に印象に残っている。
監督としても俳優としても、やっぱりこの人は一流なんだなあと改めて脱帽である。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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