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Wednesday, February 25, 2009

『それ自身のインクで書かれた街』スチュアート・ダイベック(書評)

【2月25日特記】 いざ読もうと思って最初のページを開いて「しまった!」と思った。短編小説集だと思って買ったのだが、実は詩集だったのである。

いやはや、翻訳の詩集というものは却々に微妙なのである。

もっと古い時代の詩人による、あまりイメージが散逸し過ぎていない詩を、当時の日本を代表する魔術師みたいな翻訳家(例えば堀口大学)が訳したものであったなら、日本語で読んでもそれなりに、いや、それでこその味わいがあるというものだが、このダイベックの詩においては想像力があまりに自由に飛び跳ねすぎていて、小説においては翻訳の名人である柴田元幸でさえもさすがに御しきれなかった感がある。

いや、ダイベックに馴染みのある読者なら、確かに如何にもダイベックが取り上げそうな題材がありダイベックが使いそうな表現があって時々ニヤリとするのであるが、せいぜいそこまでである。

くれぐれも言っておくが、ダイベックの小説を全く読んだことのない人は読んでもあまり楽しめないのではないかと思う。

結局一番共感が持てたのが、柴田によるあとがき「京浜工業地帯のスチュアート・ダイベック」であった。

ここで柴田は、京浜工業地帯で少年期を過ごした柴田がまるで1~2歳年長のダイベック少年と共に過ごしたような記憶がある、というような表現でその親近感を指摘している。しかし、一般の読者にすぎない我々には、残念ながら一気にそこまでの親近感には到達できない。

翻訳の詩集というものはナカナカにビミョーなのであった。

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