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Saturday, February 14, 2009

『モダンタイムス』伊坂幸太郎(書評)

【2月14日特記】 伊坂幸太郎の作品をあまり読みつけているわけでもないが、僕がいくつか読んだ伊坂作品の中ではあまり出来が良い作品だとは思えなかった。

読んでいて、まあ面白い小説ではある。

書き出しからして、主人公である29歳のSE渡辺が帰宅したら見知らぬ男がいていきなりリンチを受けるというような見事な引っ張り方。しかもそれが渡辺の浮気を疑う妻が差し向けた男だという「なんじゃそりゃ!?」の事情。──この辺が伊坂のいつもの設定の妙である。

ただ、今まで僕が読んだ作品においては、現実の中での不思議な設定であったのが、今回は不思議が浮き立ち過ぎているように思う。それには100年後の未来が舞台になっているところにも多少の問題点はあるように思う。

もちろんこの設定がストーリーの中で機能している部分も多いのではあるが、果たしてこれが絶対必要なものであったのかどうか。

現代、もしくは20~30年後の近未来という設定にした方が絵空事ではない恐ろしさが醸し出せたのではないだろうか。

そして100年以上未来にしてしまったために、読んでいて「渋谷は100年後も渋谷で、ずっと変わらずに東京の中心的な若者の街なのかい?」と、妙なところに引っ掛かりを覚えてしまったりもした。

あとがきを読むとこれは元々漫画週刊誌に連載していた作品で、「細かいアイディアについては、毎回、担当編集者と打ち合わせをし、次号の内容をそのつど決めて書き進めるやり方を取」ったとある。

なるほど、そんな書き方をした小説だと思う。如何にも頭で考えましたという体になってしまっているのである。知が勝ち過ぎているのである。

個々の人間にではなくシステムに牛耳られてしまった社会という世界観自体に誤りはない。

それは作者がタイトルに持ってきたチャップリンの映画を引き合いに出すまでもなく、すでに19世紀のうちにカール・マルクスが予言していた世界観である。近年にいたってますます説得力を増している世界の捉え方だと思う。

しかし、それをそのまま登場人物に語らせるという形は如何なものか。そういう世界観は作品の背景に沈んでいてこそ作品の深みが増すというもの。登場人物の台詞に現れてしまうととても薄っぺらい印象を与えてしまう。

この作品の登場人物は伊坂幸太郎の世界観や構想の下に完璧にコントロールされてストーリーを転がす役目を果たしている。それでは面白い小説になるはずがない。登場人物が作者の手を離れて勝手に動き出してこそ、小説の妙である。

──なんて、あんまり偉そうに書いているとあまたある伊坂ファンの怒りを買ってしまいますね。でも、どうなんだろう? 伊坂ファンの間でのこの小説の評価は?

最後まで楽しんで読みはしたけれど、一方でその間中ずっと、僕はあざといなあと感じていた。ちょっと放ったらかしにされた細かい設定もいくつかあったし、おいおい渡辺の妻は結局嫉妬深い女だったというだけなのか?とか…。

ところでこの魅力的な妻の記述を読みながら僕の脳裏にはずっと加藤貴子の姿が浮かんでいた。映画化するのであれば佳代子役は加藤貴子でお願いしたい。

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