映画『20世紀少年 ─第2章─ 最後の希望』
【2月1日特記】 映画『20世紀少年 ─第2章─ 最後の希望』を観てきた。やっぱり僕らの世代にはこたえられないものがある。
自分で書くのも何だが、前の日には公開前日にNTVで放送された『20世紀少年 もう一つの第1章』で復習するという念の入れよう。僕はどんどん忘れちゃうので、こういうのはとても役に立つ。
しかし、それにしてもよく考えたね。公開前日に放送して映画『第1章』を見逃した人に見せることによって映画『第2章』の動員に繋げる──これは今までもあった手法だが、TV版を別バージョンにすることによって映画『第1章』を観た人をもう一度TVの前に引っ張り込んでくるという視聴率対策。
確かに映画とは違うパートがかなりあった。未公開映像と新たに撮影した映像を加えたとあるが、未公開映像は前回の映画の編集時点で切り落としたものであるとして、新撮影分と言ってもクランクアップ後に俳優たちを再度招集したりセットを組み直したりというのは考えられないから、多分『第2章』用に収録した平愛梨のショットを挿入したということなのだろう。
そういうわけで、このTV用別バージョンでは高校生になったカンナ(平愛梨)の語りで進行するという形に再構成されている。
で、恐らく映画『第1章』では削られたと思われるいくつかのシーンやカットが復活し、その代わりに映画ではあったいくつかのシーンが削られている。例えば、
- 冒頭の海ほたる刑務所でのオッチョ(豊川悦司)と漫画家・角田(森山未來)の会話シーンがカットされて、カンナが語るケンヂ(唐沢寿明)たちの少年時代の回想から始まる。
- ケンヂが敷島教授の娘を探し出すエピソードがすっかり抜けている。
- ヤン坊・マー坊の双子が成人して、これを佐野史郎が演じているのだが、彼(彼ら)の事務所にヨシツネ(香川照之)が訪ねて行くシーンがなかった。──これは妻に言わせると「『第2章』以降のストーリー上で双子は大した役割を果たしていないことの証拠」とのこと。
- ケンヂの姉キリコ(黒木瞳)が失踪する前の、恋人・諸星(津田寛治)とのエピソードは全面カット。
- ともだち教団とライバル関係にある教団の教祖・ピエール一文字(竹中直人)が殺られる件も全面カット。
- ユキジ(常盤貴子)がケンヂらの地下の潜伏先を突き止めてやってきたシーンでは、どうしてここが分かったのかと訝るマルオ(石塚英彦)に「ファックスで送られてきた地図を無造作に置いといちゃダメじゃない」とたしなめるカットが省かれていた。
- それから、あまり記憶が確かでないのだけれど、確か最後のほうでフクベエ(佐々木蔵之介)がどっかから転落して(死を確認するシーンはなかったけど、多分)死んだよね? そのシーンもなかった。
等々。
ま、TV版『第1章』の話であまりスペースを割くのもアレなので、これくらいにして、以下で映画版『第2章』の記事を書くことにする。
で、まあ、『第1章』の時の記事にも書いたのだけれど、最終的にこれを評価するのはやっぱり第3章まで見終わってからなんだろうなあ、と思う。
前回は正直「こんな中途半端なところで終わりやがって」という不満が残ったが、今回はそれほどでもない。ただ、今回もまだ途中は途中なのである(ともだちが神になったところで終わり)。やっぱり評論を書くタイミングは8/29封切りの第3章を見終わってからなのだろう。
『第1章』は堤監督曰く「原作原理主義」だったらしいが、そのままそれを貫くと第10章までかかるということで、今回は企画・脚本の長崎尚志曰く「キャラクターと作品の持つテーマを変えないことを前提に、変化させ」たと言う。「パラレル的作品」であるとも言っている。
そう言われると、原作は読んだけど映画はどうしようかと思っていた人も見たくなるだろうし、逆に僕のように原作を知らずに映画を見始めた者は、第3章を見終わってから原作を読んでみようかと思ったりもしてしまう。
ただ、今回気づいたのだが、原作をかなり意識して、カット割りも漫画の構図と同じにしたりしているために(と言っても、それは主に第1章における特徴であり、第2章もそうなのかどうか知らないのだが)、堤幸彦作品にしてはあまりカメラが面白い動きをしていないのである。
それはやはり原作が「止まった絵」しか描けない漫画だからで、それを踏まえようとすると動くカメラというものを設定しにくかったのではないだろうか。
堤幸彦監督はタイムスライス技法をはじめとして結構トリッキーなカメラワークや特撮で売って来た人なのに、この偉大な原作を前にしてそれを封印するしかなかったのか? 今回も印象的な動きのあるシーンとしては、ステンドグラスを突き破って現れるオッチョのシーンくらいのものではなかったか?
彼自身がパンフのインタビューにこう語っている。
僕は設計者じゃなくて施工管理者なんですよ。
でも、その発言の前にはこういう発言。
こういうタイプの作品はやったことがなくて、楽しかった。
まあ、楽しんだのなら良しとしよう。
事実映画は面白い。この面白さはテレビ的な面白さだ。テレビ的というのは映画より手間がかかっていないとか安直だとかいう意味ではない。続いて行く面白さなのである。一気に全部見るのは無理で、1回見たら次の回まで反芻したり予想したりして時間を過ごす、そういう楽しみ方のできる面白さなのである。
基本的にはそれは原作の持つ面白さなんだろうけど、それに加えて、トヨエツをはじめとしてキャストが全てはまり役で、それぞれに存在感があって、良い台詞も多く、まあ、全く飽きさせない。
平愛梨が結構良いし、その同級生の小泉響子役の木南晴夏も良い。「悪もん」では ARATA と小池栄子の存在感が抜群である。そして、何よりも笑ったのは徳光和夫の名演。いや大げさと言えば大げさなんだけど、この人こんな器用な人だったのかと笑ったのである。
音楽は第1章に続いてムーンライダーズの白井良明がやっているのだが、リョーメイらしい悪ふざけが全くなく、全力を挙げてカッコ良く作っている。
しかし、それにしても、謎が謎を呼ぶ構成はまだまだ続く。第2章まで見て、まだ解らないことだらけである。興味は尽きない。第3章を見るしかないだろう。
今回は唐沢がほとんど出て来ず、やっぱり死んだのかと思ったら第3章の予告編(エンドロールの後)で、おっと、これから見る人もいるのでこれ以上書くのはやめとこう。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。


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