喪中ハガキとクリスマス・カード
【12月9日特記】 喪中の欠礼ハガキというのは本来「自分は喪に服しているので年末年始の挨拶状は出しませんよ」という宣言なのである。
つまり、もらったほうからすると、あくまで相手は年賀状を出さないというだけのことであって、こちらから相手に年賀状を出すのは一向に構わないのだ。
──と教わった記憶がある。じゃあ、そうしてるか?
──していない。
理屈の上ではそうだ。僕は理屈に忠実に生きたいほうなのでなおさらそう思う。ましてや僕の場合は年賀状ではなくクリスマス・カードである。何も東洋の小国の風習など気にせず送りつければ良いではないか。
──と思う。しかし、なかなかできない。
本当は喪中の人に年賀状を出しても構わないのに、相手のほうは出すのももらうのもご法度だという間違えた理解をしており、そのために非常識な奴だと思われるのではないかという惧れもある。しかし、それが最大の理由ではない。
喪に服してる──というほど大げさな気分でいるかどうかはともかくとして、なんであれ近親の誰かを亡くした人間に対して「おめでとう!」とか「楽しいクリスマス!」とかいうハガキを送るのは、やっぱりなんとなく気が引けるのである。それが最大の理由である。
だから、僕もまた、世間の多くの人と同様、喪中ハガキを送ってきた人にはクリスマス・カードを出さないようにしている。
相手と場合によっては、ホントは、「大事な人を亡くしたのはとても哀しいことだけど、でも、クリスマスは楽しく過ごそうよ」などと話しかけたい気分のこともあるが、ぐっとこらえて出さないことにしている。
ところが、ま、毎年あることなんだが、宛名書きをし終えてから喪中ハガキが来ることがある。今年もとりあえず1枚(この後も多分何枚かあるだろう)。
東京のK氏から。そう言えば、実のお父さんが亡くなったんだ。わざわざ葬式にまで行ったのにころっと忘れていた。──そういう場合は自分の記憶力の不確かさによるところもあるので不甲斐ない気分になる。
ところが、もらったハガキを読んでみると、亡くなったのは実父じゃなくて義父だった。つまり、僕が葬式に行ったのは今年じゃなくて去年だった。
そうなると今度は不甲斐なく思った自分がもう一度不甲斐なく思えてくる。
しかし、考えてみればK氏は2年続きの喪中である。せめてクリスマスぐらいは楽しい気分で過ごしてほしいなあと、これは心の底から思うのであった。
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