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Thursday, December 04, 2008

『愛と日本語の惑乱』清水義範(書評)

【12月4日特記】 「いやあ、面白いですね、こういう本って」と、ついつい誰かに言いたくなってくる。「こんなもん、どこが面白いのか」と感じる人がいることは重々承知しながら、敢えてそういう人にそう言ってみたいような気になるのである。

主人公はコピーライターの野田である。言葉を扱う商売である。公共放送のSHKの用語委員もしている。

この小説の中に例えばこういう表現がある。同じく用語委員をしてる国語学教授の高田から彼の論文を渡された野田が、その中で暗に自分が非難されていることを知って怒るところである。

「名詞を動詞にするなとか、こだわりというのは悪い意味の言葉だとか、生きざまなんて言葉はない、なんていうイチャモンをいつまでつけているつもりなんだ」(60ページ)。

ここで言われている名詞を動詞にする誤用や「こだわり」の本来の意味については、この小説の中でちゃんと説明がなされている。しかし、「生きざま」についてはどこにも解説がない。

僕自身は知っている。「生きざま」という表現はおかしいという主張は今までに何度も読んだことがある。だから解説してもらう必要がないし、作者があえて解説なしに通り過ぎようとすることをむしろ好感を以て迎えるほどである。

もちろん僕はたまたま知っていたに過ぎず、読者の中には何故「生きざま」がおかしいと言われるのか知らない人もいるだろう。

もし、そこでひっかかって調べてみようと思う読者であれば、きっとこの小説を読んで面白いと思うはずだ。しかし、「なんか意味がよく分からないなあ」程度で読み流してしまう人は、この小説を読んでもちっとも面白くないはずだ。これはそういう本である。

僕は小説にかこつけて何かを勧めたり主張したりしようとする試みには賛同しない。そういうことをしたいのであれば論文を書きなさいと言いたい。そのほうがストレートに趣旨が伝わって明快である。

小説と言うのはそういうピンポイントの作業ではなく、もっとぼんやりとした掴みどころのない、しかしどこか切実だったり共感を覚えたりするような、全体に広がる印象を伝える作業だと思う。だから、本来小説にかこつけて日本語を解説したような感のあるこういう作品は潔しとしないのである。

ただし、例外があって、面白ければ別だ。

小説を何かに利用しようとした作品は往々にして面白くない。だが、清水義範はとても面白いのである。つまり小説のほうが勝っている。だから、僕らに読ませるのである。

そして、この作品にはもうひとつとても巧妙なからくりがある。

例えば、野田が自著を出版するにあたって出版社の校閲を受け、あれも差別表現だ、これも差別表現だと指摘されて何箇所もの書き直しを迫られる件がある。

ここで野田が主張しているようなことを、作者の清水が例えばエッセイで主張しようものなら、「あなたには差別される者の気持が全く解っていない。言葉を仕事にしている人間がそんな感覚で恥ずかしくないのですか」みたいな思いっきりヒステリックな攻撃にさらされること必至である。ところが、これを小説の中に練り込むことによって、それはあくまで小説の登場人物の発言となって難を逃れるのである。

何故難を逃れるかと言うと、そういう形式にした途端にそういう読者はこの本を手に取らないからである。著者がエッセイの中で差別用語規制に反論を加えているなどと知れ渡ったりしようものなら、業を煮やした人たちが必ず読みに来て、半分も読まずに怒り狂った攻撃に出る。

でも、コピーライターの主人公が、同棲相手の女優との破局もあって、自ら言葉に囚われておかしくなって行く話、となると、よほどの言葉好きしか読まないのである。

もちろんこれは僕の穿った見方であり、十中八九清水はそんなことは考えていないだろう。しかし、そういう自由な解釈や想像を許してしまうのが小説というものなのである。

言葉好きの僕に次々といろんな連想をさせてくれて楽しませてくれたこの小説そのものが、僕にとってはなかなか上質の言葉遊びであった。

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