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Thursday, December 04, 2008

時間と記憶

【12月4日特記】 記憶というものは濃度を変えながら時間軸の中を伸びてきているのだ、と再認識した。

ついさきほどのことについては、我々はくっきりとした濃度の高い記憶を持っているはずだ。それが昨日、1週間前、1ヶ月前と遡るにつれて、記憶はぼんやりと薄れてくる。そして同時に全く思い出せないことも増えてくる。勿論その中には永遠に忘れてしまったこともあれば、何かのきっかけでまた甦ってくる記憶もあるのだろうが・・・。

半年前、1年前、2年前と時を重ねるにつれて、我々の記憶は全般に薄れてくる。同時に、憶えていることと憶えていないことがまばらになってくる。つまり、全体的に濃度が低くなるだけではなく、分散して密度も低くなるのである。

記憶というのは時間軸に沿って、そういうグラデーションを形成して行くものだと思う。

先日認知症の母を訪ねたら、その日にインフルエンザの予防接種を受けたらしく、左の二の腕の注射針の跡に絆創膏が貼ってあった。

僕と話をしている最中になんとなく自分の腕を触った母がその絆創膏に気がついた。

「なんや、これ?」
「注射したんやろ」
「何の?」
「インフルエンザとちゃうか」
「誰が?」
「そら、お医者さんやろな」
「いつ注射したん?」
「知らんがな」

で、5分もしたらまた同じことの繰り返し。

「あれ? なんやろ、これ?」
「注射したんとちゃうか」
「何の注射や?」
「インフルエンザやろ」
「誰が注射したん?」
「お医者さんに決まってるがな」
「いつ?」
「知らんがな。今日とちゃうのん?」
「いや、今日とはちゃうで。覚えてないもん」

で、2~3分したら、またしてもほぼ同じ会話の再現。この日は合計5回。さすがに5回目には多少記憶に定着することもあるのか、こんなやりとり。

「なんや、これ?」
「注射の跡や」
「流感の予防か?」

彼女には時間軸に沿ったグラデーションなんか既にないのである。今この瞬間にすごく近いところでぷっつりと切れている。彼女には我々が感じる時間の流れも、記憶の積み重ねもないのである。

そのくせに60年以上も前の自分の娘時代のことをやたら鮮明に憶えていて話を聞かせてくれたりする。

「あの時、あんたはあそこにおらんかったかなあ?」
「おる訳ないやろ。まだ生まれてないわ」

我々にとって1本の流れである「時間」が、彼女の中では、多分切り揃えられたきゅうりみたいな感じで、まな板の上に散らばっているのだ。

この日僕は、我々の記憶というものは濃度を変えながら時間軸の中を伸びてきているのだ、と改めて気がついた──認知症の母にはそれが途切れているという事実によって。

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