『地図男』真藤順丈(書評)
【11月29日特記】 何とも言えない独特の雰囲気を持った小説である、と途中までは思ったのである。
「あるひとりの子どもが、音楽に祝福されて産まれた」という書き出しでこの小説は始まる。これは「産声をあげた瞬間にはもう、その頭のなかに音楽を聴いていた」という音楽の天才児<M>の物語である。そして読み進むと、これを語っているのが「地図男」だということが判る。
いや、語っているところは最初は描かれない。それは彼が抱えている「関東地域大判地図帖」の余白に直接、あるいは付箋を貼ってその上に書かれた物語なのである。しかも、「もっとも厄介なのは、物語それぞれの展開にあわせて、書きこみ位置もちくいち移動すること」なのである。
この不思議な地図男の人物設定と言い、冒頭で語られる<M>の物語と言い、これはどこにもなかったような小説になっている。その後に語られる「東京都23区大会」もまた然り。不思議な雰囲気を醸し出していて、読んでいて非常に不思議な気分になってくるのである。
ところが後半になって少し色合いが変わってくる。
「ムサシとアキル」の話。これは残念ながらどこにもなかったような物語ではなくなってしまっている。村上龍か舞城王太郎が書いた小説だと言われるとそんな気がしてしまう。そういう話が出てくるとあまり面白くなくなってくる。
そして、最後に「謎解き」がある。これがこの小説が延々続くのではなくどこかで終息するための装置として機能しているのだが、こういう仕掛けを作ったためにちょっと小賢しい感じになってしまったのが残念である。しかも、主人公の助監督(この設定も特異!)が終盤で一気に謎解きしてしまうところに、なんかあっけないものになってしまった感がある。
1000ページの大著にせよとは言わないが、せっかく全体に非常に見事な設定が満載の作品なので、もっとページ数を割いてゆっくりと少しずつこの謎解きを進めて行ったらもっともっと感慨の深いものになったのではないかなあなどと、ちょっとお節介なことまで考えてしまった。
ただ、こういう(凡庸な形容をすると)「ポップな文体」をどう評価するについては見解が分かれるところだろうが、この発想の自由さには脱帽である。
ちょっと軽く感じてしまったのは直前に読んでいたのがリチャード・パワーズであったというせいもあるだろう。その辺りを割り引いてこの書評をお読みいただいたほうが良いのかもしれない。
全体としては、うん、面白かったです。
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