『われらが歌う時』リチャード・パワーズ(書評)
【11月25日特記】 僕にとっては『舞踏会へ向かう三人の農夫』、『ガラテイア2.2』、『囚人のジレンマ』に次ぐ4冊目のパワーズなのだが、今回も読み終わるまでにものすごく長い時間を費やしてしまった。
ただし、ひとつだけ今までと全然違う点がある。
読むのにものすごいパワーを必要とするところはいつも通りなのだが、今回は「難渋する」という感じがないのである。あれ、これがパワーズか?と少し不思議な気分になった。すらすらと読めるのである。
しかも、読んでいて楽しい。今までの作品では、読み終わった時の圧倒的な感慨は別として、途中読み進むうちは決して楽しいという感じはなかった。一貫してしんどかったのである。もちろん、そのしんどさがあったからこそ、読み通した後の解放感が大きな感動に結びついたのかもしれないが。
ただし、今回も決して生易しい素材ではない。そして、今回も複数の話が交錯する。
アメリカの白人とアメリカ人でない黒人の子供であるオバマ氏が選ばれた今年の大統領選を予見したかのように、白人と黒人の男女が出会って結婚するのがこの小説の出発点である。
現代の話ならそれほど驚くには足りないのかもしれないが、第2次大戦が終わってまだそれほど経っていない、黒人と白人の結婚を法律で禁じた州も多かった時代だ。
しかも、父親はユダヤ人の亡命者である。差別する側の白人とされる側の黒人という組合せではなく、ともに迫害を受けてきた者同士の結婚である。そして、そこには宗教的な壁も立ちはだかっている。なかなか日本人には想像のつかない設定である。
ああ、アメリカの黒人たちはこんな風に虐げられてきたのか、こんな歴史の中をかいくぐってきたのか、そして黒人と白人の間に生まれた子供たちは有無を言わせず黒人に分類されてたんだ、などと日本人はいちいち驚いてしまう。そして、これを書いているのが黒人でもユダヤ人でもない作家であることに思い至って、なんだかギョッとしてしまうのである。
黒人の母は歌手の卵である。ユダヤ人の父は数学・物理学者であり、彼もまた音楽には深い造詣と高い能力がある。この2つの設定によって、いつものパワーズらしく数学・物理学と音楽に関してとんでもなく深く広い領域にわたる知識の爆発がある。いつも通り読んでいて頭がクラクラしてくるのである。
しかし、今回は物理学は少なく音楽が多かったせいなのか、僕は少なくとも「難渋する」という感じは持たなかった。
その夫婦の間に生まれた2人の男の子たちは音楽の道へ進む。妹は父親と絶縁して黒人解放運動へとのめりこむ。ここからが音楽と歴史である。美文調と言っても良いような音楽をめぐる流麗な記述と容赦のない厳しい史実の陳述が掛け合わされ、それを「時間」をめぐる数学理論が取り囲んでいる。
今回も複数の話が交錯すると書いたが、今までのような一見関係のないストーリーが並行して走るのではなく、父と母の話と子供たちの話が時代を前後して細切れに語られるのである。そして、この構造こそがこの物語の中心を走る硬い骨であった。
この作家の凄いところは最後に来てのまとめ方である。なんとなく余韻があって終息感があって終わるような小説ではない。まさか関係があるとは思えなかったものが突如として繋がるのである。
最後に至ってこの驚きに満ちた圧倒的な感動に触れられるのであれば、我々は途中がもっともっと難解で頭がクラクラするようなものであっても読み通すだろう。
しかし、今回はそういう面がやや和らいで、時間は取られるにしても結構読みやすい作品になっている。パワーズの小説を初めて読む方には、僕はこれをお勧めする。
ひとつだけ注文をつけるとすると、「われらが歌う時」という邦題は THE TIME OF OUR SINGING という原題の持つ力強い響きを伝えきれていない。
訳者も「われらが」の「が」は「わたしが○○する」という時の「が」ではなく「わが祖国」と言う時の「が」のつもりで書いているのだろうが、後に「歌う」が続くとどうしても主格の「が」だと思ってしまう。「われらが歌唱の秋」ぐらいで如何だろうか?
「秋」はもちろん「あき」ではなく「とき」と読ませる。それくらい強い響きのあるタイトルである。
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