出口入口論争
【10月15日特記】 今日、生まれて初めて大腸内視鏡検査を受けてきた。あの、お尻からカメラ突っ込むやつ。今日までずっと出口専用だったのに、初めて入り口として使用したわけである。
で、検査を受けながら思ったのだが、ホモの人たちはどうしてこんなことが気持ち良いんだろう? いや、女性でも2穴使用の人はいるから、決してホモの人たちだけではないか。
ま、入ってくるもんが違うから感覚も違うんだろうなあ、などと診察台の上で考えていたのだが、しかし、これがどこか違うと気持ち良くなるというのが感覚的に理解できない。
結局は肉体の快感なんて精神の状態に支配されているのだという解釈は成り立つんだろう。SとかMとかいうのもそういう例だ──と自分で思い直してみるのだが、しかし、そういうのって本来的には、本番に至るまでの過程の演出であったり、本番を致すための環境の整備であったりするのではないだろうかという疑問が浮かぶ。本番の結合様式はあくまで1つであったはずだ。
同性同士が引き合うということも、同性同士でも肉体的な快楽は得られるということも、性の営みというものはどんどん非日常や異端へと向かうものだということも、全て理解はできるのだけれど、しかし、本番の際にあそこを使うというのだけがどうしても理解できない。
出口専用はやっぱり出口専用なのではないだろうか。出し入れ両用に供することができる部位が、男性にはないから仕方がないのだけれど。しかし、女性も使うという。何故なんだろう? 本当に良いのか?
こればっかりは紀貫之が土佐日記を書いたようには追体験できないのである。
しかし、まあ、出口専用であったものが入り口として先端医療に役立っている。これだけは間違いなく喜ばしいことである。
で、全員がこれを気持ち良いと思うようなら、キャンセルが出ないと検査が受けられないほどの混雑になってしまうはずだ。それはそれで困るので、これはこれで良いのだろう。
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